事実と理解
前に「99.9」というドラマがあって映画化もされたんですが(なぜか公開初日に見ちゃった)好きなドラマでした。主演は松潤です(ちょいちょい出てくるね。まぁ好きなんでしょう。昔「ナラタージュ」についても書いたし)
裁判もののドラマなんですが主人公の一番の関心事は「事実」です。依頼人の利益より優先で、依頼人には不利な事実でもそれを解明するのが最上位。
「それ本来警察の役目じゃね?」と思うんですが、捜査機関、司法機関でその事実の解明ができない、されなかった、という経緯があっての刑事弁護士。
ともあれ「事実」というのがいいですね、「真実」じゃないのが。
「真実」って言葉は情感こもっちゃってるでしょ?
しんじつ【真実】
嘘や飾りのない本当のこと。まこと。
それに比べて「事実」はドライな感じ。感情がこもってない。
じじつ【事実】
実際にあった事柄。現実に存在する事柄。
別のエッセイで書きましたが言葉の持つ印象はバイアスになって判断に影響する、邪魔をする、と思っているので、自分は「真実」とかを避けるタチです。「事実」の方が性に合ってる。
でもフィクションでは「真実」の方を使いがちですね。使いたがる。感情をこめた方がドラマチックということなんでしょうが、それとは逆行してるのが好きでした。悪ふざけが過ぎるとこもあったけど、それを差し引いてもドラマのスタンスは好き。主人公のスタンスも。
「事実」は揺るぎませんしね。
それをどう解釈するかは人それぞれで違ってきますが。
なのでズレが生じたり誤ったりは避けられないけど、「事実」に立ち返れば多少なりとも防げるんじゃないか。
ということで自分は普段からそれを中心に、スタート地点にしがちです。
で、なぜ今回この話題を書いてるか。この話題で始めたか。
自分の場合エッセイってなんとなくその時に浮かんだもの、書きたくなったものを書いてるんですが、書いたあとに振り返ると「あぁ、自分は今そこらに興味あるんだな」「こだわりを強くしてるんだな」とわかったりします。
最近のエッセイを読み返すと、自分はどうも「理解」にこだわってるっぽい。
りかい【理解】
1.物事の道理や筋道がわかること。意味・内容をのみこむこと。「――が早い」
2.他人の気持ちや立場を察すること。「彼の苦境を――する」
他人に対してはせいぜい察する程度というのは、そうでしょうね、そこらが限界。
本当にわかる、わかり合うなんて無理でしょう。別々の人間ですから。
言葉を尽くして自分のことや自分の意見を説明しても、結局は伝わらない。いくらかは誤解される。
そんな風に諦めてます。
それは恨みがましい感じじゃなく、誤解は当然、それが「事実」と思うんですね(ここで繋がってくるの。回りくどいネェ)
他者は自分と違うもの。視点が違うんだから誤解されて当然。屈折して見るのが相手の個性で、いろいろ思われるのが多様ということ。正確な理解など求める方が無茶で、理解されなくても全然ヘコむことない。
もちろん自分の方が間違ってる、他人の方が正確に捉えてる、という場合もありますが、他人は断片しか見てない(見られない)のもまた事実。自分と一番つき合ってるのは自分。
なので簡単に「わかるよ」なんて言われるとムカつくんですよねぇ。大抵そんなにわかってないし、軽く言うな、簡単にわかってたまるか、となる場合が多い。なかなか理解できない、されないのが自分の(そして他人の)個性だと思うんです。
だから自分もたくさん誤解してるし、自覚ある。なので他人になんらか印象を持っても、一時的なもの、決めつけない。時と場合によっては別の面が見えたりするし、時が経ってガラッと変わることもあるでしょう。
それもまた「事実」と思うので、判断が固まらず常に不安定でもヨシと思える。
そして自分は他人に誤解されても、寂しいより「あぁ、この人はこの程度の理解力なんだな」と優越感を持ったり(これもまた一時的な判断ですがね)
「へぇ、そんな風に取るんだ、見えるんだ」と面白がったりします。
なかなかの無敵でしょ? 理解を求めないと強い。
でも最近「理解」についてよく書いてるのは、考えると心当たりあってまぁまぁの無理解や無神経に出くわし「しょうがないよね」と確認するような気持ちが書かせたんじゃないかと(だとしたらそんなに強くもないネェ)
別にスネたわけじゃなく再確認。そうそう理解なんてされないよね。しょうがないよね。
でも文字にするとやっぱりスネてるように見えますな。自覚的にはそういうんじゃないんだけど。
まぁ理解されたい気持ちがまったくないかと言うと、そうでもないんでしょう。基本諦めてますがコツコツものを書いてるのは欲求あるからで、「理解なんぞ要らん」と心底思ってたらそもそも何も書きません。
そして自信満々でもない。むしろ自信がなくてブレブレだから事実を起点にし始めたんだと思います。揺るがないものを頼りたくて。
それを一方じゃ「やだな」と思ってます。何かと言うと「事実は?」と考える。「他にない?」と疑う。「優先すべきはそれ?」と詰める。つき合いにくいヤツです。
例えば仕事の相手先がいつもつまらないミスをしてこっちの仕事を台無しにする。なのにこっちの上司は強く言わずユルユル。下の努力を無にされても戦わない。
自分はそういうとき戦っちゃうんです、相手先とも上司とも。
何より優先すべきは仕事の結果と思うので。相手先や上司の顔色を見ることじゃない。
それは下に対してもで、仲よくするために集まってるわけじゃないスから。「ちゃんとやって」と求めるし、求めたからには自分もやる。自分には一番厳しいつもり。
だいたい仕事って人生のあれこれの中じゃシンプルな部類ですよね? 答えがないこと割り切れないことが多い中で、上下優劣がはっきりしてる。誰が何が悪かったかを詰めなきゃミスを繰り返すし、「どっちでもいい」なんてことはまずなくて「どっちがよりベストに近いか」を常に判断し続けるのものでしょう。優先すべきことがそれなりにはっきりしてるからそれに沿うだけ。
戦うのもそのためです。別にあちこちと軋轢を生みたいわけじゃなく、ダメなものはダメだしちゃんとするには「うまく喧嘩をしないと」というだけ。喧嘩できない、何も言えない、じゃどんどん悪くなる。
しかしそんなスタンスはあまり理解されません。説明しないのも悪いんですが、そもそも誤解されるものと思ってるので放っとく。
でもそんなのがいたら、職場はピリピリしますね。緊張感。説明しない弁解しないで自分のスタンスを通す人。
勿論そこらの空気はそれなりに察して動きますが、和ますのもまた仕事をうまくやるためで、好かれたいとかじゃない(好かれようなんてのも無茶だと思ってます)
しかしそんなスタンスはまぁまぁしんどいし旨味はないし、微妙です。恥じない仕事をしたからナニ? 誇れる仕事ができたからどうした?
変人は変人なんでしょう。思えば「99.9」の主人公と近いかもしれません。職場の和なんて気にせず自分の思うところに邁進する。目的以外はどうでもいい。そこらも好きなんでしょうね。
というわけでうまくまとまったかな? どうでしょ? 「物語についてのエッセイ」と題してるのでこんなシメになります。たまにはこうゆう回もあります。
物語についてのエッセイ・目次