言葉って難しいねっていう話
午前中の演習の際、言い回しの妙に対する考え方や捉え方についての問題提起があったので、実際どうなんだろう?っていう話になった。そこで出てきた色々な意見をもとに改めて考えてみたことを今回のネタとして、ざざっと書くことに。
きっかけは「どうせ無理」っていう言葉に対する失望と反骨心から這い上がって現在の地位や実績を確立した方が、独特な優しい語り口で、ある言葉を使って、当時のことを振り返った動画のワンシーンに対する問いから始まった。
あの言葉って、もしかして皮肉?それとも純粋?っていう感じで。
そのことに対して学生たちから色々な感想や捉え方があがってきて、そこから話が展開した次第。
「自分自身が必死に頑張っているようなスポーツのワンシーンで、頑張れ!って言われるのは嫌なんですよね〜」
「ただ、あの時だけは、悔いの残らないように頑張れって言われてその気になりました」
「勝敗とか基準が見えにくい世界だと、後悔しないようにって言われても、何をもって後悔って言うのかがよくわからんって思ってたんですよね〜」
「死ぬ前に悔いのない人生と言える場合はやり切った感という意味でいいし、色々と悔いが残るってなると死ぬ間際でも成長意欲があってすごいし、どうともとれるよね」
「応援してる!とか、今度いくね!とか、言葉で言われるよりも、実際に来てくれるとか行動で示してくれる方がいいよね」
とか色々と。
で、改めて考えてみた。
言葉を通じて何かを伝えようとする以上、伝える側と伝えられる側という両者にとって、その言葉が共通言語でない限りは伝わりにくいっていう側面があることを認識しておく必要がある。
シンプルなのは言葉の意味に対する理解度。
そのほか、互いの関係性や向いてる方向、相互理解への意識など。
それらが両者間で一致しているかどうかで、言葉の伝わりやすさや受け取りやすさが格段に違ってくるし、場合によっては逆効果になってしまうこともある。
そういうことかな?って思った。
ただ、願望も込みで僕が思うのは、こんな感じの綺麗事。
人間だから当然、相手から発せられる言葉に対して、カチンときたり、イラっときたりすることもあるだろう。だけど、たとえ野次であろうが罵声であろうが、ある意味、全てをポジティブに変換して受け取ることができれば最強なんじゃないか。
勝手に穿った見方をして変な受け取り方をするより、その方がよっぽどいい。
一方で、揚げ足をとる、文句を言う、陥れる、足を引っ張る、邪魔をする、っていうような思考が多くを占めている人は、おそらくそういった意味で言葉を使っているだろうし、相手から発せられた言葉に対してもそういう受け取り方をするだろう。
そういうのって疲れないのかな?って思うし、そんなんばかりの環境は、どうにもこうにも世知辛くて過ごしづらいから、避けたいところ。
ちょっと文脈違うけど、怒りが原動力になるっていう考え方もあるようだし、実際それで成果を上げている人もいるようだけど、僕自身はあんまりそういうタイプではないので、前者のように、もっと大らかにいったほうが幸せだと思う。
さいごに。
僕は「すべては気のせい」って思っている。
つまり、自分自身の考え方ひとつで、発する言葉の質や意味も変わるし、発せられた言葉に対する受け取り方も違ってくる。
だから、すべてを受け止めてポジティブな思考と行動と力に変えていけるような人物になれればいいなって思った。
(古典ラジオで歴史上の偉人たちの色々な話や背景やそれに対する捉え方などを聴いているうちに、自分自身の心の器が広がってきている気がするので、こんなふうに感じるようになったのかもしれない)
火曜の1-2限、色々と考えるきっかけになるから、ほんとに面白い。そんな気づきを与えてくれる多感な学生たちに感謝!