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「君たちは優秀だ。しかし、未熟でもある。」←この言葉の意味をふまえて考えたこと

「君たちは優秀だ。しかし、未熟でもある。」

これは、地域創生学群の初代学群長である伊野憲治先生が、2009年4月に地域創生学群が開設された際、新入生たちに贈った言葉だ。
そして、その1期生が卒業する際、総代を務めた学生が読み上げた謝辞の第一声がこの言葉だった。
そんなこともあり、僕の中でとても印象に残っている言葉だし、大切にしたいと思っている言葉だし、大好きな言葉だ。

実は1年くらい前のnoteでもこの言葉を取り上げていたのだけど、今回なぜ取り上げたのか?
それは、最近ときどき目にしたり耳にしたりする学生たちの言動のなかで、ちょっと勘違いしてるんじゃないかな?残念というかもったいないなって思うことがチラホラあったから。
冒頭の言葉に対する自分なりの解釈をふまえて、その言動について考えてみた。

自分はもうできているから大丈夫。

っていう感じの反応(直接的な言葉、間接的な言葉、行動、雰囲気、仕草etc)を目に耳にすることが時々ある。
なかでも、そういう反応をしたのが比較的やれてる系の学生であった場合、とくに残念に思うわけ。

そういう時に感じる空気感は、問いかけに対する様々なタイプの返事の中でも、「大丈夫です」っていうフィードバックを拒否する感じのものに近い。
大丈夫じゃないと思ってるから言ってるのに、そう言われると、もう色々言わない方がいいなって引いてしまうような感じ。
(余計なお世話と言われれば、それはもう失礼しましたって感じだけどw)

話をもとに戻すと、一定の評価を得ているくらい優秀なんです。
だから、そのことに自信を持つことはいいと思う。
けど、それに胡座をかいて欲しくはない。
なぜなら、あくまでも現時点での、現環境下での評価であり、そこが全てではない。しかも、今後の可能性は無限大。
そう考えると、自分はできている、もう大丈夫って線を引くことは、自分自身の成長の可能性の芽をつむことにも繋がると思うので。
ほんとに、もったいないと思う。

冒頭の言葉に結びつけてみると、たとえ優秀だという評価を受けたとしても、それに慢心することなく、常に自分の中ではまだまだ未熟だっていう気持ちで、向上心を持って貪欲に邁進してほしい。
そういうことだと思う。

まあ、調子に乗ることも悪くないし、自信持つのも悪くないけど、いい意味での謙虚さは大切にしたいって個人的には思っているので、そういう言動に対してセンサーが働いたんだろう。

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