すべての源泉は日常生活における想像力にあるのでは?っていう仮説
今回は、とある会議でテーマになった「探究心」や「主体的行動」について、少し考えてみたことを仮説のような感じでまとめてみることにしたい。
近年、高校教育の現場では、新しい学習指導要領に基づいて「総合的な探究の時間」が設けられることになったけれど、その分野に関するサポートや活動を行なっている同僚が教えてくれた課題感として、多くの現場ではそれがうまくいっていないのでは?形式的な実施に終始しているのではないか?本質的な部分がおさえられていないのではないか?みたいな話があった。
そうした問題提起に対し、基本的には、自分たちは何をするのかといった視点で、色々と意見を出し合った。
そして、そのあと考えてみた。
うちの学部の場合はそこに「地域」というワードが掛け合わされることになるので、結構難しいことだとも思った。おそらく「探究心」や「主体的行動」には、素養みたいな側面もある。だから、それを身につけるためには、それらが当たり前に意識できる環境に身を置くことが一番だと思うし、その環境の有無は別として、個人としては何事においても身近なところから少しずつやってみることが求められると思う。
ただ、そのような環境に中高生のタイミングで身を置けるかというと、なかなか難しいとも思う。(その部分については、またいつか。)
そう考えると、まずは地域に関することでなくてもいいし、小さなことからでもいいから、探究心や主体的行動を日常生活において発揮する経験が必要になるんだと思った。
そこで思い出したのが、だいぶ以前にFaceBookに投稿した内容。
そのままコピペしたのが以下の内容。
ここで書いていたことこそが、探究心や主体的行動の源泉になるのではないかと思った。つまり、日常生活において想像力を働かせて行動に移してみるってことを、意識して実践することが大切なんだと。
探究心や主体性を育むために、まずは、そういう部分からはじめるってのが一番いいんじゃないかなっていう仮説でした。
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