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金無垢一匹獅子目貫について

 我が国の刀装具界において、室町時代から江戸時代末期まで、常に「斯界の第一人者」であり続けたのは、初代祐乗を祖として十七代典乗まで連綿としてその地位を保った「後藤家」であります。   
 ただ、後藤家では、刀装具の中の「三所物」と言われる目貫、笄、小柄の「腰元彫」をもっぱら制作していますが、鐔や縁・頭など他の刀装具については、各代(特に上三代)ともほとんど作っていません。 
       
 また、後藤家の「掟物」と言われるのは、各代を通じて「獅子」と「龍」であり、その中の獅子は、一匹獅子、二匹獅子、三匹獅子など各種のものを制作しています。   
 しかし、目貫の場合、限られた面積(縦約1.5センチ、横3.0センチ程度)の中で作品を表現するため、二匹獅子や三匹獅子は、一匹あたりの面積が小さくなり、十分な表現が容易ではなく、細部については、どうしても省略が多くなってしまいます。 
   
 その結果、獅子図目貫の中で真の優品というのは、やはり「一匹獅子目貫」であると言わざるを得ないと思います。       
 そこで、現存する一匹獅子目貫の中から初代祐乗が作った優品を選定しますと、①東京国立博物館の所蔵品、②徳川美術館の所蔵品、それから③かつて島田貞良氏が所蔵し、今は個人の所蔵となっている作品の3組が挙げられます。 
 
 このほかにも、全国には初代祐乗作の一匹獅子目貫が4組程認められますが、「作行」は上記3組の作品に比べて劣ると言わざるを得ません。
 また、公益財団法人日本美術刀剣保存協会が、近年の第65回と第68回に「重要刀装具」に指定した各1組の祐乗作の一匹獅子目貫も、上記3組には及ばないと思われます。
      
 次に、上記3組の祐乗作の一匹獅子目貫について、その「作行」を比較しますと、①東博の所蔵品には、後藤家十三代光孝の「極め」がなされており、②徳川美術館の所蔵品には後藤家十五代光美の「折紙」が付いています。
 しかし、彫の状態をはじめ作品全体の出来栄えなどから、③島田貞良氏旧蔵の一匹獅子目貫の方が優れているものと認められます。
         
 さらに、その島田氏旧蔵品と筆者所蔵の一匹獅子目貫(拙著「刀と鐔の玉手箱」に掲載)を比べますと、全体的な獅子の姿のほか、斑や魚々子鏨の位置とその形や大きさ、胸部の状態、胴部の彫の強弱など異なる点がかなり見受けられ、島田氏旧蔵品の方が「作行」的には劣っていると思われます。 
      
 ところで、目貫の制作は、まず地板の裏側から細い鏨で打ち出し、その後、表面からも叩いて図柄を整えるという「出し減し法」が用いられています。
 目貫というのは、裏側も大切な「見どころ」の一つであり、この手法で丁寧に制作された目貫には、裏側にそうした鏨の跡が明確に見られ、「目貫鑑賞の大きな魅力」ともなっています。

 なお、後藤家の刀装具は、江戸時代の武家社会において、各大名家にとってはなくてはならない必需品であり、各大名家では積極的に収集・管理したものと考えられます。
 それというのも、公式の場において身に着ける大小2本の刀には、必ず後藤家の目貫を付ける慣わしになっていたからであります。 
   
 現存作品が極端に少ない後藤家の貴重な「一匹獅子目貫」ですが、今後、刀装具関係者や研究者などの調査・研究が進み、さらに多くのことが解明されることを楽しみにしています。 
        
 なお、一匹獅子目貫については、拙著「刀と鐔の玉手箱」に1章を設けて、詳しく説明しておりますので、ご参照ください。 
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