日刀保の刀剣審査について①
日刀保(財団法人日本美術刀剣保存協会)は、昭和23年2月24日に設立され、同年9月12日には、貴重刀剣・貴重小道具の認定審査が始まりました。
昭和24年1月23日には地方審査も開始され、同年10月に機関誌「刀剣美術」が発刊されています。
それでは、これから2回に分けて、その後の刀剣審査の歴史を振り返ってみたいと思います。
なお、筆者の感想を交えた回顧録であることをご了承ください。
①〜昭和の出来事〜
昭和25年4月、特別貴重刀剣・同小道具の審査が新設(追加)され、これは、通称「丸特」と言われていました。
同年5月30日、文化財保護法が公布され、同年8月29日、旧国宝は重要文化財への書き換えが行われました。
同年11月15日、銃砲刀剣類所持取締令が公布され、登録制度が始ました。
昭和26年1月16日、登録審査委員が発令され、許可証から登録証への書き換えが行われました。
同年1月には、国立博物館(現東京国立博物館)の工芸課内に刀剣室が設置されています。
昭和28年8月1日、武器等製造法が公布され、美術刀剣の制作承認が始まりました。
昭和33年5月13日、重要刀剣・小道具・刀装等の指定審査が始まりました。
昭和43年5月25日、日刀保が運営する刀剣博物館が渋谷区代々木に新築・移転(開館)しました。
昭和45年11月、日刀保は細川護立初代会長の逝去に伴い、本間順治氏が新会長に就任し、同年12月3日に特別重要刀剣等の審査が始まりました。
昭和47年6月20日、貴重刀剣等の地方審査が一時廃止され、昭和48年4月からは、特別貴重「甲種」審査が追加されました。
なお、貴重刀剣等の地方審査は昭和49年6月28日に再開されています。
また、昭和54年1月から、甲種特別貴重刀剣の審査は本部のみに限定されることになりました。
昭和55年に偽造刀剣・偽造認定書問題が起こり、同年5月には貴重刀剣等地方審査審議会が開催されました。
昭和56年10月21日、日刀保の本間会長以下全理事、監事が総退陣するという大変な事態に発展し、同月29日に富士川金二新会長、小泉富太郎専務理事が就任しました(小泉専務理事は昭和57年4月7日に辞任されています)。
昭和57年9月、富士川新体制の下で、これまでの貴重・特別貴重刀剣等に代わる保存刀剣・刀装具、特別保存刀剣・刀装具の審査が始まります(新「保存刀剣」審査制度については、「刀剣美術」誌第305号・第308号を参照ください)。
「②〜平成以降の出来事〜」については、次回の記事をご覧ください。