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「真の無鑑査」と思う人

日本刀の作刀などに際してコンクールで何度も最高賞を受賞するなど卓越した技術を持った者は「無鑑査」という肩書が付与される。
これは並大抵の事ではなく、「無鑑査に選ばれる=現代刀工の第一人者になる」という事でもある。
人生を掛けても殆どの人がなれない。

無鑑査の素晴らしい作は日刀保が毎年主催している「現代刀職展」というコンクールにて展示され見る人を魅了しているし、同じ道を志す者にとってはお手本として教材にもされている事と思う。

しかし裏を返せば技術を高めれば無鑑査になれる
無鑑査たる者、本当にそれだけで良いのか?

高い技術の保有とその継承に加えて、無鑑査であれば更にもう一つ出来なければならないのではないか。
それが出来る人こそ「真の無鑑査」なのではないかと私は思う。

現代刀匠でもない私が事情も知らないで偉そうにこんな事を書くのは批判されるだろうが、関係がない他人だからこそ思った事を書こうと思う。

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・これが出来る人は真の無鑑査に思う

高い技術の保有とその継承に加えて、
「自分の作品を高値で売り、現代刀全体の価格の底上げが出来る人」
は真の無鑑査だと思う。
無鑑査の作った太刀が300万円なんかで売られていてはいけない。
1振1000万円で売る為の努力や工夫をして、無鑑査になれば1振1000万円で売れるという事をこれから志す人に示したり、その土台を築く事こそ真の無鑑査なのではないか。
それが実現出来た世界では、独立したての刀工の作が200~250万円でも売れるようになっているかもしれない。

「いやいや、250万もあれば古い良い刀買えるよ」

まさにそう。
だから難しい。
1000万円あれば古刀の名品が買えてしまう。
だから難しい。

新しい現代刀としての立ち位置を昔の刀と差別化を図りながら作って示さないといけない。
例えばアートとしての位置を確立し、クリスティーズやサザビーズをはじめ海外オークションなどに出品して日本刀の魅力を幅広い富裕層に訴求するなども一つの方法かもしれない。(もう日本国内だけで市場を作っていても難しい事は多くの人が感じているはず)

もしくは日本刀に関わる刀剣商や日刀保と連携を取りながら刀そのもの価格全体の底上げをする工夫を模索する必要がある。
現在の価格の3倍位に全体の刀剣が設定されれば現代刀の値段も自然に上がるだろう。
しかしそれは独立したての刀職にはまず出来ない事なので、多方面に顔が利く無鑑査のやるべき役割ではないか。
小さい文化圏の中で派閥を作って小さなパイを求めるよりも、各方面で一丸となって全体を大きくしていく努力をすべきではないか。
無鑑査に限らず全刀商も日刀保も。
それが今まで誰も出来てこなかった結果が今である。


・歴史というブランドには勝てないが…

因みに技術だけを追求しても「歴史」というブランドには適わない。
現代の技術で仮に古刀が完全に再現出来たとしても、古刀は歴史がある事に価値があるのだ。
例えば織田信長が今川義元を討った時に手に入れた義元左文字と、それを精巧に写した現代刀なら前者の方が確実に価値としては高いだろう。(多くの人が欲しいと感じるだろう)

だから技術だけを追求しても歴史には適わない。
でもアートとしてもっと広く認知されれば1000万円と言う価格は非現実的なものとも思わない。
なぜなら著名なアーティストがデザインしたというこの鞘が確か3000万円位の価格で○個以上売れていると2年ほど前に店員さんから聞いたので。

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話をまとめると、無鑑査になった人が自身の作品を1000万円以上で売り、現代刀って本来それだけの価値があるものなんだよ、アートなんだよという事を示すなりしてその他の現代刀工の人が安売りしなくても生活できる環境を整える事の出来る人が「真の無鑑査」なのだと思う。

偉そうなことを書いたが、無鑑査の方々の努力量に比べると私の努力量なんてゴミ以下である。
でも私としても多くの人が日本刀をアートとして感じてくれるように、日本刀を部屋に美しく飾れるようなものは用意しておきたいし、日本刀の展示ケース作りの第一人者になれるようこれからも精進していきたい。
海外にも日本刀をアートとして広めていく活動をしていきたい。

そして30年後には今の思いを具体的な道として示せていたと胸を張って言えるようになっていたいと思う。

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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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