横谷宗珉 名物 一輪牡丹目貫
刀にまつわるエピソードや伝記は多いが、刀装具にも少ないながら逸話の残っている物がある。
その1つが今回挙げる横谷宗珉の「名物 一輪牡丹目貫」。
①一輪牡丹目貫のエピソード
紀州みかんや塩鮭で富を築いたとされる元禄頃の商人、紀伊国屋文左衛門(1669~1734年頃?)という者が宗珉に手付金10両を払って一輪牡丹の目貫を依頼。
江戸中期頃の1両と言えばお米1石(約150㎏)と言われているので、1500㎏分のお米を出して製作依頼した事になる。
1食あたり1合(150g)としても1000回分のごはんとなり、朝昼晩1合ずつ食べると大体1年分のごはんという事になる。
当時のお米の価値がいまいち分からないが、現代でいうならば、1年分の白米で目貫を作ってくれ、と依頼したようなものだろうか。
これが多いのか少ないのかよく分からない。
しかし3年経っても彫らない為何度も催促した所、催促の仕方が気に入らなかった宗珉は手付金を返して依頼を拒否。
その後完成したこの目貫は冬木屋に納められたが、その際に50両を宗珉に送ったといわれる。
つまり5年分の白米、というくらいのインパクトだろうか。
これ以降宗珉は一輪牡丹は作っていないといい、この逸話は「日本随筆全集 第十一巻」に絵と共に載せられている。
こちらでは「某」が50両払ったと名前が伏せられているが、これは豪商であった冬木屋らしい。
尚、一輪牡丹目貫としては実は他にも現存しており、1点は大阪の豪商である末吉家のもので現在は個人蔵、2点目は朝日新聞社を創立した村山龍平氏が愛蔵した品で現在は香雪美術館蔵。
これらの写真は生田享子さんの書かれた「刀装具 新・解体新書2」に載っているので気になる方は手に取られてみると良いかもしれません。
②名物一輪牡丹の実物
そんな伝記の残った一輪牡丹図であるが、以前刀文協さん主催の鑑賞会にて念願叶い鑑賞させて頂く事が出来た。
非常に豪華な桐箱に納められている。
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