刀を愛した明治天皇
愛刀家としても有名であった明治天皇について今回は調べてみました。
①明治天皇について
日本の第122代天皇が明治天皇で、在位中に国力を伸長させた英明な天皇と謡われ「大帝」と称えられたそうです。
和歌も多く残っており、その数は10万首にも及ぶとの事。
明治天皇は1868年に15歳で京都御所にて即位の儀を執り行い、1869年(明治元年)に江戸が東京へと変わりました。
この時に江戸城は東京城と改め、その翌年に京都から東京に移り、以後は東京に居住。
青年時代から近侍していた西郷隆盛から乗馬や武士道について学び、日本刀の鑑賞についてもこの時に高めたそうです。
明治天皇は大の愛刀家で、暇があれば刀の鑑賞をされていたといいます。
沢山の御物を集められましたが、宮内省の御剣掛というような限られた人だけでなく、広く民間の鑑識の高い人にも見せる事で率直な意見を聞かれるなどされていたようです。
しかし大正天皇の時代になると変わります。
明治天皇がそれだけ刀を好きであられた事から天皇の息がかかっている御道具であるという事で、大正天皇の時代から神聖視され、明治天皇御在世の時とは逆で、一般の好者に見せて良い悪いというような批評の対象にすべきでないという考えが宮内庁内に起きたからか、御物の刀剣は御剣係以外には絶対に見せないという建前になったようです。(本間薫山氏は実は御所で拝見したこともあるらしいですが、内緒の事であったため、本などを書く時に御物を引き合いに出せば一目瞭然と解決つく話も見なかったものとして書かなければならないので苦労された様子「薫山刀話より」)
その為今日御物を見れる機会があればそれはとても凄い事なのです。
②全国各地の大名から名刀が献上
明治天皇が東京城に移られた際に全国各地の大名から数々の名刀が献上されたようです。
これらは全て御物として現在も宮内庁に保管されています。
上記に加え菊御作の一部や鶯丸、小烏丸、会津正宗などは現在も宮内庁管理です。
以下の「銘刀押形」に御物の押形が載っているのでお勧めです。
それ以外にも上杉太刀や獅子王など500振以上の名刀が献上されていましたが、敗戦後GHQより美術的な価値のある物は持っていて良いと話になり、この時に「さて御物はどうする?」という話になったのだとか。
その際にGHQに確認すると「天皇は進んで模範を示すべき」という回答があった事から、宮内庁ではこの機会に本当に良い作のみ残して整理しようとなったようです。
この時に全て検査したのが、本間薫山氏であり、数日間にかけて全て確認したようです。
結局この3分の2以上が終戦後の1947年(昭和22年)に東京国立博物館に移管されました。
③明治天皇の刀好きの逸話
・1881年(明治14年)の東北巡幸の折には山形県米沢市の上杉家に立ち寄って上杉謙信伝来の数々の名刀の鑑賞に夢中になり、翌日の公式日程を取りやめる。(これは前代未聞とのこと)
・東海道を巡幸する際は三嶋大社(静岡県)に3度立ち寄り、上杉太刀と北条太刀を鑑賞。大変気に入られたようで、三嶋大社はこの二振をその後献上。
・1905年(明治38年)の日清戦争の際は本営を広島に移し、その際に浅野家の宝物をご覧になり特に則宗の太刀には感動されたようで、浅野家はその後この則宗を献上。
・正倉院の刀を全て研がせる
④現代刀匠を帝室技芸員(人間国宝)に任命
日本刀を敬愛されていた明治天皇は、1906年(明治39年)に刀工の月山貞一氏と宮本包則氏を帝室技芸員(人間国宝)に任命。
これにより廃刀令後に無用と言われた日本刀の作刀技術を後世へ繋ぐ事に繋がりました。
明治天皇がいらしたからこそ現代刀工が現代にいるのかもしれません。
⑤終わりに
「御物」って国宝?と勘違いする方も多いかと思いますが、国宝では無く「御物」という指定です。
これは国の宝ではなく、皇室の私有品の事で宮内庁が管理しています。
その為御物を拝見出来る機会というのは本当にごく僅かかと。
機会があれば見逃さずに行きたい所です。
その際は明治天皇の事を想いながら鑑賞するのもまた歴史の一幕を感じられるかもしれません。
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それでは皆様良き御刀ライフを~!
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)