悲劇の少女、ベアトリーチェ・チェンチの肖像が語る物語
最近、テレビを見る人が減っているそうですね。中には、最初から家にテレビを置かない人もいるようです。それは動画サービスが普及したり娯楽が増えたりして、場所と時間に縛られるものが敬遠されるようになったからかもしれません。
私もここ数年、テレビ以外の娯楽に興じることが増えました。これが時代の変化というものなのでしょうね。そんな私でも昔、テレビを通じて忘れられない出会いがありました。
20年ほど前、テレビ東京放送の「美の巨人たち」を見ていた時のこと。さまざまな美術作品が紹介されるその番組で、イタリアのパラッツォ・バルベリーニ宮殿(国立古典絵画館)所蔵「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」が出てきました。
絵画には、美しくも儚げな雰囲気の女性が描かれていました。当時一緒に見ていた家族と一緒に、「なんて引きつけられる絵なんだろう」と感動したことを覚えています。
しかしその美しさとは対照的に、絵画の持つエピソードは凄まじいものでした。
絵画のモデルの名は、ベアトリーチェ・チェンチ。ベアトリーチェはイタリア貴族の娘です。しかしその父親、フランチェスコは大層な乱暴者で、悪行の限りを尽くしていました。そして都に居づらくなった一族は、山奥の街へ引っ越すことになります。
その街で、悲劇が起こりました。父親は城にベアトリーチェを監禁し、奴隷のように扱った上に、美しく成長した彼女を慰みものにしたのです。ベアトリーチェは機関へ助けを求めたものの、何も対策をしてもらえなかったそうです。
父親の暴力に耐えかねた彼女は、義母や召使い達と共謀して、父親を亡きものにしました。
しかし、すぐに犯行の足がついてしまいます。市民からはベアトリーチェへの同情の声が上がったものの、教皇はチェンチ家の資産を目当てに、チェンチ一族全員に死刑を言い渡します。
この肖像画は死刑執行の直前に、グイド・レーニ(諸説あり)によって描かれたそうです。
絵画の中の彼女は、まだあどけない少女のよう。頭にターバンを巻いているのは、処刑のために髪の毛をまとめる必要があったからだそうです。彼女の悲しみをたたえた瞳は、見ているこちらを切ない気持ちにさせます。どんなにつらくて悲しかっただろう。
ベアトリーチェ・チェンチの悲劇のストーリーは、現代までさまざまな作品の題材となっています。
「いつかこの絵画を見たい」と強く思った数年後、イタリアへ行くチャンスが訪れます。飛行機とホテル、観光地を巡るバスを用意してくれる旅行ツアーを見つけたのです。しかも丸一日、ローマ市内を自由に行動できる内容。
短期アルバイトでお金を貯め、友人を誘い、旅行に申し込みました。
いよいよ当日、友人とともに地下鉄に乗ってバルベリーニ駅へ。そこから歩いてすぐ近くに、パラッツォ・バルベリーニ宮殿がありました。たしか美術館へ入る際に手荷物を預けたのですが、「ちゃんと返ってくるかな?」とドキドキした記憶があります。
手ぶらで展示室へ入ると、早速お目当ての絵画のところへ。ベアトリーチェ・チェンチの肖像画は、壁の上の方に飾られていました。
「ついに…!」
実は、今回のイタリア旅行は二回目なのでした。あの番組を見てからわりとすぐ、イタリアへ行くことができたのです。
しかし、その時の旅行ツアーは細かく予定が組まれており、こちらの美術館へ立ち寄ることが叶いませんでした。だから今回は念願の再チャンスというわけです。
展示室で絵画を見上げると、儚げな彼女の姿がありました。暗い背景に浮かぶ白い肌。本当に生きているみたい。
彼女の悲劇は私が生まれるずっと前の出来事なのに、どうにかして救われる道はなかったのかと、何ともいえない気持ちになりました。
美術館を訪れてもうずいぶん経つけれど、時々ふと彼女のことを思い出します。もし自分がとてつもなくつらい状況に遭遇したら、どうするのだろうか。まずは周りに相談して、公的機関を頼って、どうにもならなかった時には、占いで導きを求めるのも一つの手かもしれません。
若い頃から何度も美術館へ足を運んできたけれど、ベアトリーチェ・チェンチの肖像は、いつまでも忘れることのできない作品です。