米中ソに翻弄されたアジア史②
前回の続きでカンボジアの歴史。
シハヌークによりカンボジア王国として独立を達成したが課題は山積み。国内経済の立て直しやベトナムなどの地政学リスク。独立を達成したシハヌークであったが、自らの権力闘争により次第に国民の不満は高まっていく(特に若い知識人など)
次第に不満を抑えられなくなり、シハヌーク外遊中にロン・ノル政権に地位を奪われてしまう。その後はベトナム共産党と組んだクメール・ルージュによりカンボジアを制圧あれ、ポル・ポト政権による大粛清が行われる。
シハヌーク国王が自らの権力維持のために民主主義を否定し、中国共産党やベトナム共産党と組んだことがその後の内戦と外国による軍事介入を生み、結果的にカンボジアをベトナム共産党の影響下に置く事態を生んでしまった。しかも近年、カンボジアは中国共産党の影響も強く受けている。
中略
共産主義の脅威が現在も進行中であることを見てみぬふりをしてはならないと、自らに言い聞かせた。 (本文より引用)