日本製①
三浦春馬さんの『日本製』を読む。
きっかけは田中秀臣氏と森永康平氏のweb記事から。
三浦春馬さんのことは、特別詳しいわけでもないし、演技なども観たことはなかった。このweb記事で『人』として興味を持った、激烈に。しかし、あまり先入観を持ってはいけないので、なるべくフラットに読んでいきたいが…なかなか難しい…。
岩手県
岩手県のところでは、ウルシの木から採れる漆で作る漆器の取材へ。各県の最後に三浦さんのコラムが有るのだが秀逸だった。
ウルシの木に傷をつけ漆を採るのだが、その様子を「血液」のようだと評し、役者も芝居で「涙」を流すことも有り、血液と涙の成分は似ていることから、役者も自分にとって辛い記憶ですら昇華させることで思いもよらない力を発揮する、と。
体や心を削って表現することで、その痛みを演技力に変えて表現力を高める。
これは人としての能力を発揮するためには、とても辛い方法だと思う。誰だって辛い過去は消し去りたいし、思い出したくもない。それを演技の度に表現することで、何度も何度も繰り返し思い出さなければならない、思い出すどころか表現するということは、ある意味再現性さえも伴う行為。
俳優として、そこまで仕事に昇華させようという気持ちがあること、それを漆の取材によって想起する、とてつもない感覚だ。