Myself
ふと思うことがある。
「自分については自分が一番わかっているのだから」
果たして本当にそうなのだろうか。
正直、自分についてわかっている自信はこれっぽっちもない。
就職の話になるけれど、もし自分についてわかっているのであれば、全員が全員天職につけるのではないだろうか。技術は抜きにしても。
よく聞く話にはなるが、自分が何をしたいのか分からない。と言う人が多い。もちろんこれは僕もそうだ。
自分について誰が一番詳しいのか。その答えは明らかである。
自分をよく知っている他人だ。
何故なら、人の成長も環境も自分ありきではない。
他人ありきだ。人間は1人で子供を産むこともできなければ、必ず男と女がいる。
そして、自分自身を形成するのは環境だ。
環境は様々でその環境に適応した人間に育っていく。
これが自分なのだろうか。
いや違う。
それならば、似たような思考回路と似たような性格の人しか居なくなってしまう。
ならば自分とは何か。
答えは自分というものは存在しないというのが答えだと思っている。
成長に関してもそうだ。
自己研鑽を積んだ結果、努力が報われることがある。
結果としては自分が頑張ったという経緯が大事にはなるが、合否を決めるのはあくまで他人である。
だからこそ、自分をよく知る方法って何か。
たくさんのことを経験するほかないと思うのだ。
そして、素直に受け止めることができることが自分を見つけていく近道だと感じる。
好きなものと嫌いなものは必ず出てくる。
なんでも好きな人ももちろんいるとは思うけれど。
これが好きと知っているのは自分だけだし、嫌いなものが似通うのは遺伝かもしれないけれど、嫌いと分かるのも自分なのだ。
人間だけでなく、生物には欲求があり、他人とはあくまで自分との比較対象だ。
誰かが結婚して幸せそうだから、自分も結婚したい。
この方法を知っていればお金持ちになれるらしいから自分もやってみよう。
全てありがちな話で皮肉たらしいけど、求めるものはたくさんあるのだ。
でも、それを通しても自分が何者なのかを明確に表すことって難しい。
初めてのことに挑戦する時、まず自分に向いているのだろうか?と考えてしまう。それは今までに自分がしてきていないことだから当たり前のはずなのに、自分の性格に当てはめて考えてしまう脳が働くのだ。
すごく不思議でこの機能を排除したく思う。
今まで書いてきたことを全て批判することになるかもしれないけれど、
「成る人は成る」のだとも思う。
全ては思い込みから始まっているのだから。
他人から優しいと言われれば、自分が優しいことに気づくし、嫌われているなら、嫌われた何かをしたのだと思う。
全て自分が解決していることなのだ。
それがやがて性格という決まりきっていなものになる。
形容詞という決まりきった言葉でしか表せなくなるし、首尾一貫するようになってしまう。
プラスに働くのであればいいが、働かなかったらただの勘違い野郎になるのだ。
それほど、自分とは脆く弱い。
逆に言うと自分を知っている=その性格に成る人は強く成る
長く訳わからなく書いてきたが、何より言いたいのは、自分が何をしたいのか分からないなんて言うのは、至極当たり前のことだと思う。
全てのことを経験し、ゼウスみたいな全能神なら知らないが、そんな人はこの世にいないのだ。
性格に当てはめるより前に経験を積んで「myself」を極めていきたいと思う。