一方的な想い。と裏腹に。
こんばんは。
本日も皆様お疲れ様でした。
今日は価値観について書いてみたい。
人が何十億人といるように人の考え方、生き方、環境など全てが十人十色。
そんな中で人が人と接していく上で大事なのは、相手のことをきちんと理解していくことだと思う。
相手の生き方、環境に合わせてあげるのか。
自分の生き方、環境に合わせてもらうのか。
ここいらのいざこざはよくあることだと思っている。
真に人が人を理解していくことはできそうでできない。
言葉というのはとても便利なものだけれど、全ての感情やその瞬間の想い・思いを表現することは簡単なことでないから。
でも、感覚的にわかるものがある。
それが他人との違いという部分なのだろう。
その違いに気づいた時に人それぞれの性格というものが出てくる。
自分ならこうするのに。
それが裏腹な部分であって、言葉にする人と言葉にしない人がいるところでもある。
僕はもとより自分に自信がないという言い訳じみた部分もあるけれど、人の気持ちを察することに長けていると思っている反面、想いを伝えることはすごく苦手だ。
こう言ってしまった時、相手にはどのように伝わっているのだろうとか、嫌われるようなことをしてしまったかなとか、複雑なことを考えていると少し流して話してしまう癖もある。
でも自分の想いはきちんと伝えたいとも思うんだ。
だって言葉にして相手にきちんと伝えないと、何を考えていても、何をしていたとしても相手に届くこともなければ響くこともない。
よくいう事がある。
行動で示していくこと。
それは行動で示したものに対して相手との共通認識が取れていた場合にのみ発動する必殺的なカードであること。
それは言葉なしでは相手に対してきちんとした意図で伝えれているか分からない。
そのためのコミュニケーションであり、そのための言葉を自分は活かしきれていない。
でも最近はありがとう、ごめんなさい、好き、など相手に伝えたい想いはどのような形になったとしても、伝えるようにしている。
その瞬間の感情を表すもので相手が嬉しくなるようなものなどは配慮ももちろんあるけれど、とても大事なものだとも思う。
例え、葛藤や負の感情に苛まれそうになったとしても、それはそれ。
浮き沈みしてしまうのは仕方がないこと。
それが例え、一方的な想いであっても、後悔を残すよりは幾分かマシだ。
さらに言うならば、伝えたい想いがあると言うのは既に恵まれていると言うことでもあると思うのだ。
それだけで、自分の中での気持ちの整理はできてしまいそうなほど、想いとは単純で凶器にもなり得るものだと理解して伝えたいことをたくさん伝えていこうと思った。