人生の振り返りと30歳の抱負
今日で30になる。節目の歳なので、これまで振り返りと抱負を述べていきたい。
まずは30歳になれた事、我ながら嬉しく思う。
これまで大きな病気を患うこともなく、健康に生きてこれたことは有難いことだと思う。
ただ正直この数年間は、今日を迎えることにヒリヒリしていた時もあった。でも今は「おぉ、ついに来たかー」といった感じで、思ったより自然に受け入れられている気がしている。
無論若い頃に思い描いていた通りではない。10代の頃に想像していた30歳はもっと精神的に大人びていていたし、当たり前に二児の母くらいになっているだろうと思っていた。
25歳頃になると、周りの友人が次々に結婚していく中で自分だけが取り残されたような虚しさや焦燥感が生まれた。
今思えば、自らそう思ってたというより、環境によってそう思わされていたような気もする。
そして今、歳を取ることに対して、以前よりネガティブな感情を抱くことが少なくなったように思う。
それは加齢に抗えないという覚悟もあるかもしれないが、30年という長く短い人生の中で、知識経験値が積み上がっていくのは楽しいし、いろんな人との関わりから学びがあり、歳を取るのも悪くないと思うようになったからだ。
でも何より、人は人、わたしはわたし。わたしがわたしらしくいれることが大切だと思えるようになった事が大きい気がする。
そんなマインドでいると、無駄に人と比べて落ち込んだりすることがなくなったし、良い心掛けだと思う。
一方、わたしは今、成長という点で、停滞しているのではないかと思うことがある。
現状にあまり不満がないと言えば聞こえはいいが、将来に対して明確な目標がない。だから今どうしてもこれを頑張りたいという意欲がない。
そんな時、先日たまたまYouTubeで芸人ラランドのニシダの更生プログラムという企画動画をみた。
芸人コンビの一人サーヤが性根の腐った相方ニシダを更生させるため、周りの大人たちからの辛辣なダメ出しを食らわせるといった内容だ。
最初はクズなニシダを面白がって観てたけれど、途中からわたしの心にもニシダがいるんじゃないか?と思うくらい感情移入して、食らってしまった。
30代にさしかかるにつれて、なんとなく自分の得手不得手が分かるようになり、自然に不得手と向き合うことを避けている気がする。
例えば、それは仕事に関することだったり、人とのコミュニケーションだったり、日常生活の小さなことだったり、、
苦手で片づけてしまえば簡単だが、果たしてそれでいいのか。そんな大人でいいのかわたし。
自分を過信してる訳ではないが、わたしはもっとやれるはずだ。自己研鑽する余力はある。
何事もとことんやって、向いてないと諦めるなら仕方ない。でも知りもしない、やってもないのに毛嫌いしたり、始めて間もないことで根を上げる人間になりたくないのは明らかである。
全然関係ない話だけど、最近になってアニメやジャニーズの魅力に取り憑かれた。もともと全然好きではなかったし、絶対にハマらないと思っていた。
でも些細なことがきっかけで、知ればその世界の面白さがあり、結果的に自分の趣味嗜好が広がった。
そんな風に自分の出来ることも少しずつ広げていけないだろうか。(たぶん好きな事とそうでない事の熱量は違うけど、克服したいことや身に付けたいことなら同等の力を注いでいきたいという意)
あっという間に時は過ぎる。20代がそうだったように、30代はもっと速いだろう。
だからこそ、不要なプライドは捨てて苦手なことにも向き合っていきたいし、新たなことにもまだまだ挑戦したい。そのために時間の使い方を見直さねばと思った。
これからもっと楽しくなるかは自分の手にかかっている。
数年後、少し昔の私みたいに「うわー、もう30になっちゃうよ、、」って悲観的に思ってる子がいたら、「30代も意外と楽しいよ?」って笑顔で胸を張って言えるようになっていたい。
すごくふわっとした決意表明だけど、忘れないようにここに記しておく。
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