30日間書いてみて、気づいたこと【書く習慣チャレンジ day 30】
おはこんばんにちは
かたきりむしと申すものでございます。
遂にこの日が来てしまいました。
書く習慣1カ月チャレンジ最終日となります。
なんだかんだ1カ月続けることが出来た自分にまずはやったね!と言います。1つの終わりであるけども1つの始まりでもあります。
ここからは感じたことをつらつらと書いていきます。
1記事にかける時間が長い
私が書いてきた内容は基本日記、エッセイに分類するものになるはずなんですが、1記事に平均約2.1時間かかっていました。
この記事に関しても執筆に2時間半かかってますw。
1番時間がかかったもので4時間半、短いもので10分でした。
note に書く前はスマホの日記アプリに似たようなことを書いていました。その時ですら平均30分はかかっていました。
家にいて何もなかった日や仕事だけして終わった日などが短く、週末で感情が少しでも揺らいだ日などは長くなる傾向です。
note 執筆時でも同じような傾向が見えていて3000文字や4000文字などに及ぶ日も複数ありました。
本日も4000文字超えてしまいましたw
ここまで来るともはや日記ではない?レポートになる?
文章を書けば書くほど断片的な感情や単語、文字が流れてきていたので全てを頑張って書こうとした結果なんだなぁって
有名人のブログとか推しブログとか見て見なさいよ!
500文字どこか100文字で終わっていることもありますよ!
はい!その通りです。
文字数が長くなるほど1日で言いたいことが多いのか
それともただ文章が下手なのか
私のnoteを読んでいる方のみぞ知る世界です。
書けないテーマがあったのは思考を止めていたから?
「書く習慣」の巻末に書く習慣1カ月チャレンジのテーマ例が書かれています。書く習慣の第一歩として並べていただいた「そこそこ面白い文章が書けそうな30個のテーマ」です。
人生で歩んできた道は人それぞれ違う部分が出やすいテーマだと思います。しかし、私は挙げていただいたテーマの内7つくらいしか書けていません。
意図的に書いていないのではなく、書けないのです。
特に「1番〇〇」「最近〇〇」系のテーマが一切書けませんでした。
「1番〇〇」とかは誰かが決めるものではないし、好きな食べ物は?って聞かれて答えるのとハードルは変わらないと思うのですが、一切出てこないんです。。。
好きなことに対しての内容は沢山書いた認識ですが、どれも1番とはなぜか言えない。
アニメではこの作品を1番多く見た。漫画ではこの作品を1番多く読んだ。という事実は分かるのですが、その作品が1番大切なものことに関係してますかって言われたら「違います」って答えてしまうと思います。
昔から自分の好きなことに対して周りに公言していた際に周囲から否定されてきたのが、影響しているのではないかなと思っています。
1番を否定されるんだったら、全ての作品を平等として扱おう。
面白い。面白くない。で判断するだけでいいじゃないか。
くらいな感覚が今でも残っています。
多様性が認めれるようになってきたからこそ、ここは変えていきたいポイントですね。
「最近〇〇」に関してもは最近なんかあったっけ?と書こうと思っている時は考えていて「う~ん、パッと出てこないなぁ。パッと出てこないってことはないってことだよなぁ」と感情に蓋をしているのかなと思っています。
そもそも最近っていつからいつだ?とメンドクサイ人の考えてからをしてしまっているので定義から考え出すと考えるのを辞めてしまっているんだと、、
「1番〇〇」「最近〇〇」どちらにしても定義とかをごちゃごちゃ考えすぎなのかもしれません。
日記なんだからもっと素直に出せよ!って感じですね。
自然と言葉が出てくるものではなかった
日記って今考えている感じていることをただそのまま言葉として書き起こせばいいじゃん!なのですが、明確に好き!嫌い!とかではなく抽象的な感情が多く、適切な言葉が出てこないことが多かったです。
ここ数年、やっと色んな本を読み始めたような人間でした。
小学生や中学生の時は図書館本貸出カードが配られていたと思うのですが、私は毎年本貸出数が学年で最下位を取っていたくらいなのです。
国語の成績も悲しかな、いい点を取った記憶がなく語彙力と言う語彙力を全て母親のおなかの中に置いてきてしまったようです。
その分、Youtubeやニコニコ動画を永遠に見ており、ネットスラングだけは達者な大人になってしまいました。
読解力、語彙力がここに来て重要になってくるとは、、
もっと本を読もう!そう思った30日間でした。
執筆時の心理状態によって文章が違う
文章を書くことが慣れている人ならブレることはあんまりないような気がします。
私はぶれっぶれだったのでネガティブな感情、ポジティブな感情、平常時全て書き方が違っていました。
使用する言葉のバリエーションも違ければ口調も変わる
ですますがあったり、なかったり
叫びがあったりなかったり
時には評論家のような書き方になったり
本当にめちゃくちゃでした。
読んでいて気持ち悪くなる人がいるんじゃないかって思うくらい
別にそこまで悪いことではないのかなって思ってる節がありますが、読まれたい文章を書くなら正さなくてはね。
自分が好きなものほど慎重になっていた
好きなことに対しては沢山書きたい。
でも、間違ったことは書きたくない。
私より好きな人からボコボコにされそう。
そんな感じで書いていました。好きとは言えるようになったけど、好きでいる覚悟が足りないとか好き度が足りないとか思っていたような気がします。
1記事にかける時間が長いこと、書けないテーマがあったこと、自然と言葉が出てこなかったのもこれが1つの原因なんじゃないかなって思ってます。
今思えば、好きなことに対して後ろ向きであるのって好きなことに対して失礼だなって思います。
後は表現力を文章力を語彙力を身に着けるのだ!
こそあど言葉、接続詞が多すぎる
自分の文章を観察してみるとこれとかあれとかで1文の書き出しが多いように思える。
1文1文を繋ぎたいのに綺麗につなぐ方法を知らないからとりあえず、接続詞を置いているような印象です。
新聞とかにたまに載る、小学生、中学生の文章が綺麗に見えて仕方がない。
今の子供は凄いなと感心してしまう。
多分1文の中に言いたい事を上手くまとめ切れていないのもあるんじゃないかな
頭の中で言葉で発しながら書いているのもあるのかな
意識して減らせるようにしたい。
気持ちの整理になった
紙に感情を書き出すことで頭の中がスッキリするって0秒思考で言っていたのはその通りだなって思った。
ネガティブな感情程外に吐き出すと気持ちが整ったように思えました。
小さな出来事の小さな感情、毎日の記録としても良かったです。
ネタを探すのは楽しかった
書くぞ!って決めてからは私の視界がネタ(エサ)を探す獣のような目でした。
今、こんなこと思った。
お、これは1つのネタになるかもしれない。とりあえずネタ帳に書いておけ!が新しい日課になりました。
まだnoteにないテーマだけ見てもざっくり30ほどあります。
面白いかどうかは別の話ですが、
少しの反応でも嬉しかった
毎日メールで届く1つの1つの小さな「いいね」がとても嬉しかったです。
誰かに読まれているってことだけで嬉しいのに、私のただただそのままのちゃんと言語化されてない書きなぐった文章に対して「面白い」「いいじゃん」って思ってくれる人がいるなんて、、、
呼んでくれた全ての方にありがとう!を送りたいです
まとめ
なんか感じたことがポジティブよりネガティブよりなものになってしまった。。
今後に活かすための反省の面が強いってイメージです。
自分が持っている複雑な感情を言語化出来ていないところが強いのかもしれません。
自分と向き合ういい機会だったとも思います。
自分の中でまだ許せてないこと認められてないことが残っていて過去から拭い去れてないのも分かりましたし、好きなこと、ものを改めて実感できることもできました。
自分で書いていて辛いこともあったけど、向き合う強さを少しは持てたのではないかな?
ともあれ、note 活動はこれからも続けていく予定でいます。
せっかくできた書く習慣
更新頻度が毎日なのかどうかは分かっていませんが、書きたいテーマはまだまだあるのでマイペースにやっていきたいと思います。
またどこかの記事でお会いできるのを楽しみにしています。
ではでは
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