愛することは察すること
一週間ほど会えない日が続いた。
いつの間にか、マメに会う日が続いてた。
自信もなくこの先の不安しかなかったお仕事に
少しずつやる意味も感じてひとり時間も充実していた。
なんといっても10年以上のセックスレスに、離婚後の片思いへ十分の幸せを感じていた。
たった一週間。
にも関わらず長く感じた。
ちょうど生理がやってきた。
気のせいかいつも以上に子宮の痛みが私にアピールしてくる。が、今回は珍しくあっさり短期間で終わった。
丁度待ちわびた再会も訪れた。
ホルモンがそうさせるのか、会う安心感、会わない不安感。これは、相手が関係するようで相手の問題ではないようにも思えた。どこへ逃げたとしてもついてくる問題のように感じた。
今会えば、会うことでどこまでも続く問題が誤魔化されてしまうような嫌な感覚はあった。
でも本当の愛は、誤魔化すようなことは起きないようになっているのかもしれない。
自分の心の問題はカムウツシの男性の察する力が、簡単に問題を解決してくれたように思う。
愛することは察する力が増す。
キスで相手を感じ、触れ合うことで相手を感じる。セックスでは自らの体ではあるけれど中で何が起きているのかは一生見れないのだろう。カムウツシの男性は私の中を説明してくれる。
こんなにも見えない部分をも感じてくれるのは嬉しいことなんだ。
一週間、待ちわびていたのはキスだったようにも思う。
唇と唇がただくっついている、それだけでも十分な幸福感。とはいえ、カムウツシの男性は私の積極的なキスに驚く。
鼻の下という本能が活発になるところへ、相手を導き入れ、そして私も理性とは裏腹に積極的に入り込んでいく。
その日も気付けば体を絡め、長い時間が経った。
食事は食材によって変わるけれど、セックスは毎回同じ食材なのにこんなにも味わえるのは一体なんなんだろう。また同じ材料でしかないのに次の料理を楽しみにしてる。
それは食材をこよなく愛しているのだろう。
ところで、どこから、いつからこのカムウツシを愛することを察していたのだろう。出逢ってわずかの月日の流れ、愛はカラダが出会う前から既にはじまっていたようにさえ思える。
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