「愛と性と幻」をカタカムナと日常から ホンモノの愛へ
10年近く、元旦那とはセックスレス。
そして3年ほど本気で好きだと眺めていた彼がいたというのに、アマウツシを教えてくれる男性とは、簡単にカラダを絡めた。
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大人の恋愛にカラダを絡めることは、特別なことではないのだろう。
ただ、私にとって結婚前に好きかどうかもわからない、行き当たりばったりの相手と肉体関係を持ったいくつかの経験が、カラダを絡めることの煩わしさを知った。
カラダを絡めることで、エネルギーの交流が起きる。起きた交流は、二人の心の交流が全くないのがわかっていても、次へと続く。もしくはあっさり終わる。まるでサウナに行ってカラダがスッキリした感じだろうか。ただ、カラダのスッキリはイイけれど、どこか「虚しさ」が漂う。その一瞬のトキでしかない。
当時のお仕事にも影響があり感情のない肉体関係をあっさりやめた。
それから3年ほど他の男性とは真っさらな関係な時、結婚相手が現れた。
離婚をしその後、男性との肉体関係は簡単に作れる状態ではあった。が、眺めるだけの恋でも私は、十分に幸せだった。
これが正解不正解でもなく、結婚前の感情のない肉体関係の出来事が、私にとっての哲学となったように思う。
出会って数日、眺めた恋愛にあっさり振られた次の日に、アマウツシの男性とはラブホに向かった。私の哲学を吹っ飛ばしたアマウツシの男性。
そこには、最初に男女の好き嫌いを通り越し、ハグした時のエネルギー交流が大きなポイントなんだろうか。
男性は、興奮することなくエネルギー交流で勃起が起きたと言う。そして、とにかく「あなたを輝かすのが僕の使命」と言う。
感情もなくハグでイク体験は、一体なんなんだ!としか言えない出会い。
ここで綴っても、また、実際、アマウツシの男性から口に出る言葉には、「怪しさ」が漂うだろう。
が、私にとっての哲学は崩していない。
アマウツシの男性から「愛されてる」のがしっかり伝わっていた。そして、私は「愛」を受け入れカラダを絡めた。
この愛に移る前、眺める恋愛に本気で「行っておいで」と言うのも愛を感じたひとつ。
また、ひとつひとつのアマウツシの男性からの言葉が、私が求めている言葉だった。
偶然であり、男性のお仕事柄、相手の思いを汲み取る能力が高いのかもしれない。
が、違う。
愛なんだ!!
それがなぜわかるのか。それは私が3年ほどただ眺めてた愛の経験があるから。
愛したけれど愛されなかった経験。
その時の愛されていない経験は、愛されるということがアマウツシの男性からは痛いほど伝わった。
起きた瞬間から眠る瞬間まで。
もしくは夢の中でも。
どんなに離れていてもそばにずっといてくれる感覚は伝わってくる。
そして私が求めているものを「言葉」であったり、「行動」であったり差し出してくれる。
それは、きっとこれまで長年在ったであろう「アマウツシという男性の存在はない」のだと思う。完璧なまでに私の鏡となってくれている。私をただただ見つめてくれている。だから私はアマウツシの男性からの言葉に全く怪しさを感じない。愛しか感じない。
それは出会って数日、唇を絡めたその時、既に伝わっていた。子宮に入った手と同じように舌や唇が溶けるようなぬくもりだった。
一目惚れ
という言葉もあるけれど
私は経験がない。
いつも男性から愛を向けられた時、振り向く。
離婚後眺めた恋も、今思えば勘違いだったのかもしれないが、最初に愛を向けられたと思った。もしかすると最初は愛を向けてくれたのかなとも思う。
でもね、愛は変わる。
ホンモノの愛に変わることも、そうでないこともあるのだろう。
アマウツシの男性は感情はノイズだという。
初めてカラダを絡めた後、男性は必死に私を二人の愛の穏やかな湖に手を引っ張ってくれた。「こんな幸せ私なんて」と過去の思いから湖を離れようとする私の手を。「私なんて」これをノイズというのだろう。
イマ、イマ、イマの繰り返しのこの世界。
イマ出会えたことが魂の軌跡であり奇跡なんだろうな。
愛のエネルギーが充満すれば、感情のノイズさえも楽しませてくれるように思う。