【50記事達成記念 全公開記事】万物は物 カタカムナ人の統一観 始元はアマ単位はココロ
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引き続き記事は更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。
さて、今回はカタカムナ人のものの見方、統一感について書いていきます。
カタカムナ人の考え方には、大きく分けて三つの統一感があります。
【一つ目】が、一切を物として統一。
【二つ目】が、ものの一切の始元をアメ、アマに統一。
【三つ目】が、もの一切の単位をココロで統一。
この三つが、彼らの統一感です。
【一つ目】の一切を物として統一から書いていきます。
我が国の超古代人カタカムナ人は、唯物とか唯心のような相対的唯物論ではなく、現象潜象のいっさいを別の言い方をすれば天然自然の存在一切全て《モノ》として統一したのであり、文字通り絶対の唯物観を持っていました。時計時間はもとより、物質も生命も《モノ》であり、アマもアメも《モノ》である。
また、心という精神現象も《モノ》の特性であり、すべてを《モノ》現象潜象として物理を統一したことが、直観の特徴のひとつです。
《モノ》を、音標文字の図象にすれば、「正反の対象性」と「正反の互換重合性」を説明する物理図象となります。
すなわち、有形無形の一切の《モノ》の性質は、正反の対象性と正反の互換重合性において共通であり、それがつまり「統一原理」なのです。
要するに、一切のものに関するそのような直感が基礎になって、一切をモノいったと思われます。
そのため直観物理という場合の物理は、現代の科学で扱う物質物理とは根本的に異なっています。
このカタカムナ人の絶対的唯物感は、無意識にではありますが、後代人には受け継ぎ、現在の日本人も《モノ》と言わなければ何事も表現できません。
物の見方、物の考え方という場合の物は、誰でも物質だけを意味しないことを、無意識裡に認めています。
生命のある存在を生き物というのに対し、人間も人物という。
その他、イノチというもの、時というもの、空間というものなどなど、何ら支障なく日本人なら通じます。
物心一如という中国人の哲学を借りるまでもなく、日本人の潜在意識には一切がものであるということが認知されているのです。
【二つ目】の、一切の起元を(アマ)に統一について書いていきます。
全ての存在をものとして統一していたことは述べましたが、その一切のものの起元を、彼らは(アマ)または(マ)という客観背後の見えない「物理量」に統一したのです。
現代物理学では、扱う物理は諸物理量の諸(元)として、時間量と空間量の二元に帰しています。
カタカムナ人の直観は、時間空間料の二元よりもその時間空間よりもさらに前に、その時間空間の物理量を生み出す始元の量(マ)を感得し、(マ)が モノ一切すなわちあゆるものの始元量であることを感知していました。
(マ)は、あらゆる(マ)つまり(アマ)とも言います。
現象の背後の基礎物理量が(アマ)であり(アマ)と現象との関連を明らかにした物理を、直観物理と呼んでいるのです。
この様にカタカムナ人の言葉の形成法は、この直観に従い、あるいは直観物理の授けを借りて、すなわち物理を援用してなされたのです。
例えば(マ)とか(アマ)から綴られた言葉を考えてみましょう。
それらは今日では何気なく使われていますが、もとの意味を辿っていけば、カタカムナ人の直観物理や物性物理の概念的なつかみどころが得られるのです。
【三つ目】は、物一切の単位を心で統一したことについて説明します。
《ココロ》とは、「心」に通じる微子的粒子概念のことです。
「コ」は小さいという意味「コロ」は粒のことでありますが、《ココロ》とは微粒子のことですが、何の微粒子かといえば、「アマのココロ」を言い表すわけです。
上術のように、心は物であり、そして物の始元(根元)が、マやアマであり、カタカムナ人がそのような直観によって、アマココロとかマゴコロ、タナココロなどの言葉を作っています。
また物質やセイメイシツの単位は、諸々のココロで構造されたものという見方で、いずれも(モコロ)と呼んでいます。
この単位は現代科学の細胞や原子よりも、はるかに前段階の生成過程です。
そして、アマココロが色々なものに変換することは、アマウツシとしていますが、これも極めて優れた達観です。
ものの単位をココロで統一した物理は、状態を心の数で表し(エネルギーの状態)(物質の状態)(心の状態)などを、ココロの統計力学的な配分で扱っています。「真心を込める」という風に、ココロ(アマの微粒子)の密度でアマウツシの変換ということも見事に掴んでいます。
時間量、空間量も単位はココロであり、位置量もココロの数や密度で扱っています。
しかも誰でも日常見ている現象粒子(雨粒などの相似象)をモデルにして、物性物理をわかりやすくしているのです。
驚異的な直観の優秀さに私達が圧倒されたのは実に《ココロ》の統一です。