109.「カタカムナ文明超高速を使いこなす高度な物理学」
今日は「光よりも速いものは存在しない」と、思っている現代物理学に関するカタカムナ文明の考え方、超高速を使いこなしていた、時代の事について書いていきたいと思います。
「光よりも速いものは存在しない」と決定的に、今までの科学は思い込んでいました。ところが、核科学に関する或種の実験過程に於て、超光速の粒子「タキオン」が捉えられました。そこで、そのタキオンが、宇宙空間に、どのように存在して居るのか?という事が、問題にされています。タキオンとは、中性子陽子等とも異り、「奇妙さ量」の多い微粒子であり、追試は困難と言われています。
奇妙さ量とは、最近の科学がとりあげた、一種の物理量であり、ストレンジネス(STRANGENESS)の訳です。このような時に、カムヒビキの内容が明かされることは、現代の人々にとって、「大いに参考となる」でしょう。「カムヒビキ」とは、我が国の上古代に我が国土に先住して居た「カタカムナ人」によって、アマハヤミを利用して感得された高度のサトリの事です。アマハヤミとはタキオンではありませんが、カタカムナ人が、生体感覚とでも言うべき鋭敏な直感によって聴覚的に体覚した、いわば、最も「奇妙さ量」の多い無限高速粒子の事です。則ち、「アマ」の力は、光以上の超高速で字宙空間を波及して居ることを彼らは感じていたのです。およそ「力」というものは、引力等のように、最も速く瞬時的に停播するものである。
彼らはそのアマハヤミが、天然自然の「美的成り立ちや美的機能構造」をもたらして居る様相を、超音波的なカムヒビキとして感知し、その内容を子孫に伝える為に、主としては声音その他の音響効果を用い、あるいは物の形に托して表現する表象物をたくさん創っていました。
則ち以前に解説したところの、声音符によるカタカムナのウタヒやヤタノカガミ・フトマニノツルギ・マガタマの「三種の神器」と言われるものを始め、その遺された文化一切を私達は、古い和語のままに「カムヒビキ」と総称しています。生物体覚を失った上古代以後の後代人にとっては、「カムヒビキ」の内容は、あまりにも高度すぎて全く理解の出来ないものとなり、その為に三種の神器などに托された意味も伝わらず、図象文字を漢字にうつす際にも、古事記等にみられるような神話や神の名前などにしても、意味のわからぬものにされてしまったと想われます。長い間、全く意味もわからぬままに、断片的に伝えられていた「カムヒビキ」も、その内容を解説しさえすれば、現代の人々なら思考的に理解し得るだけの「科学識」があるし、殊に日本人には、無意識の深層にカタカムナのサトリが潜められて居るので、「カムヒビキ」の音を聴いただけで何となく判る「奇妙さ量」が多いのです。
つまり、科学の常識でみれば「奇妙」としか言うしかないが、日本語を使う日本人なら、本能的に共感できるものがあるという事です。このことが、外国人からみれば日本人は「奇妙さ量」の多いフシギな時にはオソロシイ気味の悪い民族だという感じを与えることになります。よい方のあらわれも、悪い例でも、日本人同士なら説明しなくても通じあえるものがありますが、外国人には理解困難という事が多いのは、外国人にとって「奇妙」とうつるものを日本人は日本語の発祥の上古以来、身にそなえもって居るからだと言えると思います。
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