119.「アキツナナヨノ タカマクラ」

「アキツナナヨノ タカマクラ」ということについて書いていきたいと思います。
 アキツナナヨノタカマクラとは、タカマは宇宙球クラは天体の位置する「座」則ち、星座のようなまとまった「場」をいいます。
 アキツとは「表現して居る」という意味ですから、則ち「アキツナナヨノタカマクラ」とは、「ヤサカのマガタマの七種の単玉は、タカマクラの新陳代謝が、七百年・七千年のような七の周期で反映されて居るという事を、表現して居るという意味になります。
 そして以下の歌詞は、その一つ一つのタマに就いて述べる事になるのです。ヤサカのマガタマという名称のそれぞれの声音の基底思念は、「極限
に分れたカタカムナのマガタマ、ヤ サ カの形のマガタマ」則ち、アマから最も極徴に分れた粒子のタマを意味しています。
 彼らは宇宙の天体の生成の消滅の相(スガタ)にすべてのものの原型が
あると直観的に把握していました。
 そして自然界の万物万象は、動物も、植物も、人間も、そして大地や石や木、水も、すべて、この極限に分かれた粒子(ヤサカのマガタマ)が変遷して現象に表われたものであり、それぞれの寿命を終えれば、やがて又、もとにもどり、アマに還元してゆく相似象であると観じ、それをマガタマという
表象物に托して表明して居るのです。
 鉄製の球形で示され、所謂古代人のアクセサリーの類では無いのです。
 七の周期ナナヨとは、地球から見て地球の公転の一マワリの一年をいうものを一応の単位としていますが宇宙的に、又、地上に於て単位のとり方は、何においてもよいわけです、ただ、どうして「七」の数で規制、反復されるのか?という事になると、それは、昔からの言葉の通り「七フシギ」のままなのです。
 彼らは、宇宙には、「八」の数で規制される現象があることを(オクタント飽和安定状況)又、「六」で規制される立方体、「四」相をもつものを、「三」つの方向(アカ・アヤ・アオ)、「二」の正反、そして「一」のアマの「元」というふうに、「数」と「物理的現象」との結びつきのコトワリを、彼らは発見していたのです。そして「七」という数には、歴史的な変遷の繰返しの規制のある事を、大きく把握していたのです。
 「オ」や「ヲ」が同時に六や四の意味をもつ事、カタカムナの声音記号に
よれば一目でわかりますどうして「七」で繰返えされるのか?という、七変化のナゾについて考えられる事は、例えば、八(や)は、極限飽和安定の状態(オクテットタイプ)であり、原子の結晶構造も電子八個で安定し崩壊しにくいものになる(身近なものでは、よく煮つめた本ものの佃煮やジャム類が、黴たり腐ったりしにくいのもその原子分子の構造が、(ヤ)になる所に、最大の理由がある)とし我々の地球の太陽系も、ヤタチ(八軸)で一応安定して居ます。
 しかし、宇宙球(タカマクラ)全体が、極限まで固定してしまうような
状態にはならないでしょう。つまり部分的には、諸天体にも万物万象にも、生成・発展飽和安定・崩壊還元のさまざまな状態が存在し、統計的には安定静止の(ヤ)の状態も考えられるが全体として全く停止不動の固定状態に地球も太陽も刻々崩壊しつつ新生しています。我々の身体も一応健康体として安定して居るが、部分的には常に新陳代謝し崩壊と生成のバランスの中で動揺して居るすべてが刻々につりあいながら変遷しつつある過渡の状態です。
部分的にみれば太陽も月も地球も静止して居るように思えますが大きい目で
みれば、メグリテ(自転)しているもっとよく見ればメグリながらマワリて(公転)している、そして、更によくみれば、そこに、ナナヨツギ(七の
周期でヨガツガレてゆく性質)がある、という直観です。
 ところで、極限率を示すヤタノカカミは、八個の小円と八個の間という、
「円周」で表現されますが、歴史的な周期となると、それは、例えば「植木算」を考えればよいのです。植木の間の数は、植木の数よりも一つ減さなければいけないつまり植木が八本なら、間は七である則ち、歴史的な時間は、一方的な流れであるから、円周にはならない安定を求めて動いていきますが、一つの段階(ヨツギ)ごとに植木算が成り立ち、その変遷の周期「七」で繰返えされる事になるわけです。その七が天体なら七百万年、七千万年、地球の気象なら七年・七十年・七百年などという周期で、一段一段の「ヨ」が「ツガレ」るという直観です。
 我々の生命も地球の生命も太陽の生命も、そしてアマから生まれでた相似象であり、やがてアマに還っていく相似象でもあるのです。太陽や地球が安定して居るように見えるのは、生成崩壊の周期が、非常に長いだけであると
カタカムナ人は、観じていました。
 タカマクラには、我々の太陽のような星すなわち恒星があり、それを彼らは、アサヒとよんでいました無数に出没して居りそこには、極めて長いライフと広い範囲にわたるバランスのとれた変遷の状態がある事を巨察し、それを、ナナヨツギの原型と観じたのです。
 このようなカタカムナ人の直観を認めれば、我々の周辺に、諸天体から原子構造の構成に至るまで、すべての相似のスガタ象(カタチ)がみられ、モロモロの現象事象にナナフシギの周期性が、数多く見出される。なお我々の生活リズムも七日を以て一週間とし、人が生れれば、お七夜、七五三、十四才で思春期に入り四十二才から九才で更年期、死ねば初七日、四十九日、七周忌、生理のリズムも二十八日、躁鬱病の周期も七年と言われるのです···等々、知らず知らずのうちに、相似の現象を呈して居る所以も、おのづから
頷かられるでしょう。言うまでもない事ですが、この周期を測る単位は、例えば、地球が太陽を一まわりする一年とするのであれば、地球の自転の一日という場合もあります。七年・七十年・七百年・七千年等の上昇高調波が
あると共に、日、時、分、秒の、下降の収縮高調波にも、七の周期性があるはずです、光速度などの、天文単位で測られる事もあるし、又、秒以下の、
電波的な周期のこともあります。何か一つくらいに統一し、スタートは一せいにとらなければ計算が合わぬ、等と考える必要は少しも無いので、めいめいが、それぞれに単位の周期性を、相似象でもって居るという事です。
 スタートはどこからきってもよいし、それぞれが重なろうが、ずれようが、それに、それぞれの周期で繰返えされ、その中に多重的に、お互いの
関係しあいバランスがとられています。その様相をカタカムナは、ナリマと言いナナヨツギの変遷と観じていました。



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