好きな言葉

今回のテーマ、好きな言葉について書きます。

好きな言葉っていろいろ種類がありますね。

「明朗会計」

昔の人

言葉なじみが良いでいったら、この言葉が一番好きです。恥ずかしながら3年くらいまえに初めてこの語彙を手に入れたんですけど、その夜ははしゃぎました。なんかこの言葉作った人のうれしさが含まれている気がしてテンションの上がる言葉です。これ好きって各所で言ってるので友達がむやみに会話に挟んでくれたりしてその度に丁寧にお礼を言っています。

「何気ない気持ちがいちばんのほんもの」

中田ヤスタカ

『ナチュラルに恋して』というperfumeの名曲に出てくるこの言葉も真理カワイイ(ジャンル)です。彼女らの初期曲の等身大の歌詞、キュートであふれていて聴いてるだけで人類全員可愛くなれる気がします。特に心に残るフレーズですし、難しく考えたってしゃあないじゃん?という女の子のからっとした可愛さがあらわれていていいですね。忘れがちなことなので心に刻んでおきたいです。

「1+1は?みそスープ」

みおちゃん

大好きな漫画「日常」にでてくる一節です。「単純なバカでありたい」のキャッチコピー通り、本当にバカバカしさが突き抜けているんですよね。焼きそばと焼き鯖を巡って大喧嘩したり、お弁当のソーセージをつかむことに昼休みを全部つかったり、オリジナルの言語で挨拶してみたらそれが大規模に流行ったり、、、頭をからっぽにしてくれる漫画の、特に好きなフレーズです。

「他人には 期待しなけりゃ 楽だよね その人生に 走馬灯なし」

友人

友達らと飲んでいたらひとりがふいに詠んできた短歌です。別の友達が他人に期待しなくなってから人生楽になったわという話をして、私がそれに同意していたときに言われました。この名言メーカーの友達は、本当に一生懸命生きています。立ち姿はときおり蝋燭か?と空目します。全力で人にぶつかり全力で傷ついてまた突進してを繰り返しています。そんな彼女からしたら私たちの冷めた態度が気に食わなかったのでしょう。お前らは、走馬灯なし人間だと言われました。さすがにちょっと痺れました。彼女の走馬灯はたぶん長すぎて死ねないと思います。

「まあ そういうことにしとこうか」

友人

これは出会ったなかで一番わたしの扱いがうまかった人によく言われた好きな言葉です。正しいことを言っても間違ったことを言っても発動されたので性能悪いなぁと思いながらも、好きでした。「生きててくれてありがとう」とか言ってもらうこともたまにありますが何故かそんな言葉よりもずっとずっと安心するひとことでした。ちなみにこのあとは「八つ当たりしていいよーん」が続き、率直にかなりウザい。なかなか会わなくなった今でも、まれに発動されると帰省並の安心感を得られる一言です。

「水を飲め」

友人

友達に悩みを聞いてもらっているときに言われてなんかウケた一言です。私は基本自分の問題は自分で解決したいなと思います。人に聞いてもらって楽になる部分も(多少)あるけど、話せるのなんか心のうちの2割くらいだと思っているので、悩み相談は本気で聞いてもらわなくて全然いいです。なので相談中にこんなこと言われるとなんだか、「それもそうだな!」って笑ってしまいます。落ち込む際にはまず、水を飲んだほうがよい。

思い出してふふってなる言葉とか、いつでもいい気持ちになれるという点で好きな言葉を挙げました。そのくらいのテンションで好きな言葉だったらあればあるほどいいなと思います。

ここからは心の中に留めておきたい教訓として好きな言葉を少し長めに書きます。

「飢えなきゃ勝てない。ただしあんなDIOなんかより、ずっとずっともっと気高く飢えなくては!」

ジョニィ・ジョースター

みなさんご存じジョジョ7部スティールボールラン主人公ジョニィジョースターの言葉です。飢えなきゃ勝てない。ジョニィは7部でDIOという敵と戦いながら物語を進めていきます。DIOは生まれが貧しかったため、自分の欲するものをどんな手を使ってでも手に入れてきました。狡猾であまりにも非道なため、よくある漫画なら主人公に成敗されて終わりだったと思います。しかしジョニィは仲間であるジャイロに「今DIOと戦ったら、君は負ける」と言い切ります。それはジャイロが「受け継いだ者」で、DIOが「飢えた者」だったからです。ジャイロは王室の生まれで、今までは与えられてきた人生でした。「どっちが良いとか悪いとか言ってるんじゃない。しかし、その差が勝負の最後の一瞬に出る、君は負ける。」その言葉がジャイロの闘争心に火をつけ、死にかけながらも無事勝利することがました。
気高く飢えるとは。DIOは勝ちに執着するあまり他人を蹴落としたり奪ったりして欲しいものを手に入れてきました。その姿勢をジョニィは「気高い」とは感じなかったということでしょう。正直コイツもコイツでなかなかなことをしているのですが、彼の美学には沿わなかったのですね。

ジョジョ7部はそれぞれの主張にエゴが内包されており、誰が正義で誰が悪なのかというのは簡単に言い切ることができません。もしかしたら主人公が一番の悪者かもしれません。しかし全員が強く飢えており、それぞれの命を燃やしています。

自己解釈しますと、勝利に対する強い執着と、自分なりの美学を持つことが「気高く飢える」ということなのかなと思います。これは私にとっては誰かを負かしたいとかじゃなくて、自分自身に行動原理と勇気を与えてくれる言葉です。物心ついてからうっすら感じていたことが、ジョジョ7部でこの言葉に出会ったときに一気に理解できた気がして惹きこまれました。

「私が写真を選ぶのではなく、写真が私を選ぶのだ」

藤原新也

写真が好きです。写真を撮るのではなく、人が撮った写真を観るのが好きです。
これには色々経緯があって、元々は絵を描くのが好きでした。でも、ド下手くそで、自分の限界もすぐに見えたのでどんどん絵を鑑賞するほうが好きになっていきました。美術館に定期的に足を運びながら、大学のとき少しだけ水彩教室に通っていました。

そこで先生が仰っていたのが「絵は嘘をついてもいい」ということです。例えば公園の紅葉の風景を描くときに、ベンチに座っている人が画角に入ってしまう時には、その人を描かなければ良い。色は自分の目で見たまんまに塗らなくていいし、形も光もそうです。自分の都合が良いように事実を捻じ曲げて表現して良い。想像する世界を形にできて面白いなと思いました。元々の技術はもちろん必要になりますが、絵は写真よりも広く自己表現ができるものなのだとそのときに思いました。

大学4年生のとき、人に写真を撮ってもらう機会がありました。写真を撮るのは人並みに好きだったため、いろいろ話が聞きたいなと思いながら向かいました。撮ってくれた人は少し年上の落ち着いた方で、技術的なことは色々教えてくれましたし、おすすめのカメラや写真屋さん、フィルターなどについても丁寧に説明してくれました。

しかし私の心に一番残ったのは別のことでした。スポットを変えながら何枚も写真を撮ってもらうなかで率直に思ったのは、レンズを向けてからもめちゃくちゃ話を振ってくるな、、、ということでした。会話をしながら合間の一瞬でぱちぱちシャッターをきって、サッとその場所を切り上げて次の場所へ向かいました。よく喋る人でもなさそうなのになと思いながら、撮ってもらった写真を一緒に覗き込んでびっくりしました。

表情、写真によって全然違う。私が驚いていると、撮ってくれた人が「この時はこんな話をしていたよね~・・・」など説明してくれました。そのときの私の感情や雰囲気が伝わってくるような写真ばかりでした。あれらの会話は1枚1枚の写真を作るための要素だったのだと気が付きました。「この写真は僕にしか撮れないし、でもそれは誰が撮ってもそうなんだよ」と言われてすぐに納得しました。写真は、撮る側と撮られる側の対話だと思います。ポートレートに限らず、きっと全部の写真がそうなんだと感じました。

風景やものと何時間もにらめっこして対話することで、被写体が見せてくれた、その一瞬を切り取る。そのときの自分の感情を、切り取る。そしてその切り取った一瞬を、永遠に残す。これってすごすぎることじゃないですか・・・

対話といえど、もちろん撮り手が主導権を握って場を演出しなければならないと思います。撮る側の考えや狙いを写真に映し出すべきです。被写体が良くても、それ以外の要素が足りてなければ残念な写真になるはずです。

よって写真は機材じゃなくて、レタッチでもなくて、撮る人なのだと思います。iPhoneでもアンパンマンカメラでもなんでもいいです。

そういったもろもろが「人が写真を選ぶのではなく、写真が人を選ぶのだ」という発言に至ったのだと私は解釈しています。

冒頭の絵の話と対比させるなら、「写真は嘘がつけない」この点に、逆に魅力を感じます。絵は自分の想像力を、写真は自分の人間性と思想を表現できるものだと思います。それらに嘘はないほうが美しい。

私にとって周りへの目の向け方を改めさせてくれる、好きな言葉でした。