月待ち講と二十六夜山🌙上野原篇
山梨県にある二十六夜山☆其の二
お月さま、神さま、仏さま好きの集う地区♡
二十六夜山という名前の山が山梨県に2つある。今回は上野原市にある二十六夜山に行ってきた。
登山口にある案内板
2番の尾崎口から登ります。
バス停尾崎からすぐ登山口。
祠の周りに石仏、石塔が集められている。
廿三夜塔もあり!
隣には「念仏供養」とあります。
念仏供養とは、
念仏信仰=浄土宗が広く社会各階層に浸透した、ともある。
上野原駅にも横断幕が掲げられていますが、無生野地区には、「無生野の大念仏」と言って踊り念仏を主体とした伝統芸能があり、重要無形民俗文化財に指定されている。
念仏供養塔があるということで、この辺りの地区では踊り念仏が盛んであったのでしょう。
神社とともに祀られている石仏の中に、丸い石がある。右手前。
山梨県では、道端にこのような丸い石が祀られているのをよく見かけますが、丸石道祖神というそうだ。この丸石を祀ってある場所は県内に700ヶ所以上あるそう。
道祖神では色々な信仰を含んでおり、旅の神、道の神など。また村の入り口や峠などに祀られているところから、境を守る神、悪魔を追い払う神とも言える。丸い石の神体は山梨の特に甲府盆地に多く、直径1O~15センチほどのを数個集めたのも多いが、最も大きいものとしては、直径110センチのもあるとのこと。
さて、ぐんぐん行きます。
こちらも遺跡っぽくなっている。
山の神さまかな。
かわいい。
こっちはさながらダムの遺跡だ。
小さな沢沿いを行ったり来たりしながら歩く素敵な道。
植林前の道を歩いてみたかったなー。
お、炭焼き釜の跡。
こんなにはっきり残っているのをみたのは初めて見たかも。
祖父が岐阜の八百津の山奥で炭焼きをやっていたので、偲ばれます。寝ずの番だったので大変だったそう。
用事がある時は、犬に手紙を縛り付けて伝言してもらっていたそうな。その犬はコロという名前だったので、子どもの時に飼った犬もコロと名づけました🐶
コロに会いたい…。
岩から氷柱。
ずいぶん登ってきました。
左手に二十六夜山が見えます。
さらにずんずん落ち葉を踏みしめ登ります。
ありました〜。
廿六夜塔。
カッコいいですね。
種子(仏尊を象徴する梵字)が彫られています。
山頂手前の広い場所にあります。
ここでみんな集って宴会したのかな。
こちらが山頂。
五万分の一の地図には、展望無しとありますが、冬なら木々の間によく見えます。
日当たりの良い場所でお昼です。
誰も来ない…。
帰りは浜沢部落方面へ下山。
浜沢という地名も、この山の中なのに謎。
沢が広かったのか。
露岩のある尾根で、西上州を思わせるような岩場のある道が少しだけ続きました。
久々に登山を堪能♡
写真撮らず...。
途中、何故か植林の中の登山道ど真ん中に東屋あり。
ここで尺八ゆっくり吹けたら最高だわ、
という場所。おすすめです。
一旦下山。
この秋山地区の、上野原〜無生野往復バスは一日1本。ということで、帰りはもう一山超えて中央本線の梁川駅まで行かねばならない。
季節によっては午後のバスも1本あるようなので行かれる方は事前にご確認を。
麓にはすぐに、まんじゅう屋♡
これはご褒美かも。
さすが上野原市。
店の中で割烹着着たおばあちゃん三人が井戸端会議に花を咲かせておりました。
酒まんじゅうを探し回るin上野原のお話はこちら↓
あんこゲットです。
なんとすぐ向かいに十三夜塔もあり。
隣の尾崎地区には二十三夜、こちらは十三夜、山頂に二十六夜。
いずれかが曇っていてもどれかは晴れて拝めるということか!
二十六夜山の下には三日月峠だし、これから行く立野峠から梁川駅まで行く道筋の沢は、月尾根沢という。この辺りの人は、どんだけお月さんが好きなんだ。
それにしても、見るのに一番遅く深夜しか見れない二十六夜が、歩いて一時間半の(昔の人はもっと早かったかもだけど)山頂にあるのは、一体なぜでしょうか。
さて、ここからまた峠まで、頑張ります。
その前に癒しの巨木に会いに行く。
倉岳山登山口すぐの浜沢薬師堂内の、大ケヤキ。
市の指定天然記念物。
薬師堂内の石仏。
ほっこり。
さらに少し行った登山道脇の石仏。
「童女」とあるので女の子のお墓なのでしょうか。隣の石仏も、女の子っぽい。
午後14時。
これから立野峠まで1時間、下山に1時間半。ということで、まだ日は短いため、ゆっくりしてはいられない。
一気に峠まで。
全身から汗をかいて良きデトックス。
峠に着いて先程のまんじゅうを頂く。
そして明るいうちに下山達成。
焦っているため写真無し笑
登山道から一般道に出てしばらく行くと、沿道に集められた石仏達。
右側にもっとたくさんいます。
祠の中に石仏。
これは珍しい。
誰でしょう?
こちらは双体道祖神かな。
癒されます。
こちらは前回の都留市の二十六夜山と、月待ち講について↓
現在、虚無僧の墓や遺跡も、道路や宅地開発で多く消滅したり埋もれてしまったようで、寂しい限り。
山に自然を満喫しに行っているのに、人工物である石仏に惹かれてしまう。
祠も石仏も無い山だったりすると、ちょっとガッカリする。
山頂にある石仏や石碑を一体誰がどうやって運んだのか、いつも不思議に思うし感心する。
信仰とは何ぞや。
と、この風雨に晒され彫られた文字が消えかかっている道祖神たちを見て、思い巡らすのでした。
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