10-7 決着
……強いってなにか、ずっと、わからなかった。
そして憧れていた。
強い人間に俺が惹かれたのも、それが理由かもしれない。
ハヤト。
ササハラ。
そして……サユリ。
初めてサユリと出会ったときのことは鮮烈に覚えている。
二つ年下のサユリは、高校の頃からアーチェリーでならし、東西大学でも、期待のホープとして部に迎えられた。
「悪いけど、自分、馴れ合うつもりないんで。ていうか、今のままじゃ、ワタシも、みなさんも、東西大も、二流のままだと思います」
歓迎会でのそのひと言で、場は凍りつき、顧問とコーチは慌て、上級生は険悪な顔になり、新入生たちはあ然とした。
サユリはいきなり部で孤立した。
だけど、俺は……そんな物怖じせず、我を通すサユリに、強く強く惹かれたのだ。
「ヤノ先輩。ワタシと付き合いたかったら、せめてアーチェリーもっと上手になってください」
「ええ! あ、いや! ……付き合いたいとか、そういうのじゃないぞお……! お、俺はただ……サユリを応援したいだけで……」
そう。サユリをずっと見ていたかった……。
俺にとって、サユリは、眩しいくらいにかっこよく、強さの象徴で……
希望の光だったから……。
憧れていた。
高く高く羽ばたいて欲しかった。
だが………
憧れているだけじゃダメだった。
ただ、見ているだけじゃダメだったのだ……。
「くうううっっ。ヤノくんまで私の邪魔をするの!?」
サユリが次のアローをつがえ、切っ先を俺に向ける。
ヒュン!
俺に向かって放たれた矢を、俺もまた、アリバの矢で撃ち落とす。
「矢で矢を落とす!? そんなバカなことが……!!」
ヒュン! ヒュン!
サユリは次から次に矢を放つ。
俺たちは、武闘場を挟んで相対し、互いに矢を放ちあった。
俺はひたすらサユリから放たれるアローを、氷のアリバで落とした。
そして……やがて、サユリのアローは尽きた。
俺はサユリの元にゆっくり歩く。
「なんでみんな邪魔するの!? ワタシの足を引っ張るの!?」
ヒステリックに叫んだサユリが、とっさに駆ける。
撃ち落とされ、折れたアローが武闘場に落ちていた。
「敵! 敵! 敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵テキテキテキテてきてきてきぃぃっ!」
折れたアローを振り上げ、俺に向かってくる。
ドシュッ。
悪意のチカラのせいだろう。サユリの一撃は鋭く重かった。折れた矢は、俺の身体にグサリと突き刺さった。
「……………………………………」
「みんながワタシをいじめる! みんながワタシを傷つける! なんで? なんで? ワタシはただがんばってるだけなのに! ワタシはただがんばってるだけなのに!」
ズシュッ。ドシュッ。ドシュッ。
サユリは俺の身体に何度も何度も矢を突き立てる。
「や、ヤノ!」
「ヤノさん!」
「お、おい!」
「ヤノくん!」
「ヤノー!」
「だいじょうぶだっ! これは俺にしかできないことなんだ! 俺に足りなかったものがようやくわかった……それは、身体を張って、すべてを受け止める『覚悟』だったんだっっっ!」
「がああああああっっっっっ!!!」
凄まじい形相で、サユリは俺に矢を突き立てる。
俺の身体に激痛が走る。鮮血がボタボタ地に落ちる。
それでも俺は、サユリからの矢を受け続けた……。
「……サユリよお……敵ばかりなんて、言うなよお……そんなの悲しすぎるだろ……世界中のみんなが敵になったって、俺は……俺だけは、お前の味方なんだからよお……」
狂ったように矢を突き立ててくるサユリに俺は語りかけた。
そして……サユリの哀しみや辛さ、孤独を受け止め続けた。
何度も、何度も、何度も、何度も……。
「…………気が済んだかよお……」
サユリが涙に濡れた顔で俺を見上げる。
ヤノ「……ずっと……ずっと……サユリに言ってあげたかった言葉がある……付き合っているときは言えなかった……だから、今、言うぞお」
サユリの動きが止まる。
「もう……無理はするな」
「……………………………………」
ヤノ「すまん……俺はもっとはやく、サユリを止めてやるべきだった……」
俺はサユリの細い身体を抱きしめた。
こんなにもか細く、小さな身体で、サユリはずっと頑張っていたと思うと、俺の涙も止まらなかった。
サユリ「……………………………………」
ヤノ「そして、俺は、お前にもうひとつ言わなくちゃならん……」
サユリの身体をゆっくり離す。
「俺たち弓競技者にとって、ひとに矢を向ける行為は、絶対にやっちゃいけないことだろうがよおおおお!!!」
パチンッ
俺はサユリの頬を叩いた。
サユリはしばらく放心していたが、毒気を抜かれたように、手にした弓を地に落とした。
カラン……。
「わ、わた、ワタシ……いま……なにを……?」
「………………………………」
サユリ「ワタシ、ひとに向けて、矢を撃ったの……?」
コクリ。俺はうなずいた。
サユリ「…………なんてこと…………ワタシに…………弓を持つ資格は……二度とない」
サユリはゆっくりとその場に崩れ堕ちた。
「悪意が…………消えた」
ナミの声が遠くから聞こえてくる。
そして、この動物園の騒動は、終わりを迎えた。
俺の恋も。
◆
サユリ「………………ん………………」
福岡市動物園の東屋で、サユリは目を覚ました。
「…………ここは……動物園? なんで、ワタシ、こんなところに居るの……?」
「…………サユリ…………おまえ、なにも覚えてないのかよお……」
サユリは、悪意になる前の記憶を失っていた。
聞けば、俺と別れてからのサユリは、こころを病み、精神安定セミナーを受講したらしい。
ナミによると、それは教団の手のものだった……。
サユリはそこで、「腕が治る」ということばに乗せられ、悪意として覚醒させられた。それは……【取次】と呼ばれる儀式だったという。
「…………なにがあったの? ワタシはなにをしたの……?」
俺はサユリにすべてを包み隠さず話した。
アリバ。悪意。福岡ファイター。ハヤトを呼び出し、毒を盛ったこと。そして、ゲーム……。
「…………最悪だね、ワタシ。死んだほうがいいかも」
「………………………………」
サユリ「アーチェリーはできない。みんなからは嫌われてる。そして……ヤノくんはもう居ない……ワタシには何もない……こんなワタシ、生きてたって……」
「…………簡単に死ぬとか言うな!」
「…………え」
ヤノ「サユリに何もないなんて俺は思わないぞお……サユリを必要としているひとも、サユリにできることも、きっとある! 明日へ進む道は必ずあるはずだ!」
サユリ「や、ヤノくん…………」
ヤノ「俺みたいに女々しくて、弱い人間とって、サユリは、かっこよくて、強くて眩しい、希望の星なんだ。その期待が無責任で、それに答えるのがどれだけ大変か、今ならよくわかる……
けど、だからこそ、負けないで欲しい。頑張ってほしい。それは、サユリにしかできないことなんだ」
サユリ「なによそれ……」
「けど、無理はするな。たまには、弱音を吐いたって、立ち止まったって、逃げたって、泣いたっていいんだから」
「どうして……いまさら……そんなこと言ってくれるの? 優しくするの?」
ヤノ「どうしてって……」
お前が好きだからに決まってるだろうがよお……。
「…………ワタシね、アーチェリーができなくなったとき、世界を恨んだわ。敵だらけの世の中で、アーチェリーだけがワタシを救ってくれたのに、もうワタシには何もないんだって……
でも、違ってた。……ワタシには、アナタが居たのに……」
「……………………サユリ」
サユリ「アナタの優しさに甘えて、一緒に居てくれるのが当たり前になってて、本当に大切なものが見えてなかった……」
ヤノ「…………いや、それもやっぱり俺のせいだぞお。俺がもっとしっかりしてたら……安心してサユリは俺に甘えられたんだ」
「……ふたりともまだまだ練習が必要だね……」
「そうだなあ……俺たちは、どうしようもなく……不器用だぞお」
俺とサユリはお互いに笑いあった。
サユリ「だったら、ワタシたち、もう一度はじめから……」
ヤノ「……サユリ。その先は言うな」
サユリ「どうして! やっとワタシ、素直になれそうなのに……!」
「俺にはよお、やらなくちゃいけないことがあるんだ。ハヤトや仲間たちと一緒に。俺は不器用だから、サユリを支えながら、福岡市を護ることなんて無理だ。だから今は……一緒に居られない……」
「ヤノくん……」
俺は立ち上がった。
東屋から離れた場所には、福岡ファイターのみんなが並んで待ってくれていた。
夏の光の中に。……あそこが、今の俺の居場所だ。
「待って! ヤノくん!」
「サユリ……うまくこれが終わったら……いつか、また」
「ヤノくん! ヤノくーーーーーーーーーんんん!!」
「いいのか?」
「おう」
ハヤト「…………とりあえず、涙ふけ」
ハヤトが苦笑する。サユリに背を向けた俺の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。俺はツンとする鼻を空に向け、歯を食いしばった。
「…………俺はよお……ずっと、お前やササハラみたいになりたかったよお」
「はあ? なんでお前が、俺やササハラみたいになりてーんだよ? お前はお前だろうが」
ヤノ「………………」
ハヤト「……お前、自分が嫌いなのか?」
ヤノ「好きなわけ、ないぞお……」
「けど、俺はお前、嫌いじゃないぜ? ササハラだってたぶんな。
お前みたいに、デカくて強いくせに、女々しくて細かくて弱気なヤツが、縁の下で支えてくれるからこそ、俺たちは好き勝手やれるんだ」
「女々しくて細かくて悪かったぞお…」
ハヤト「ま、今日は特別に、優しいって言い換えてやってもいいぜ? とにかく、お前はお前。他の誰でもねえ。他の誰にもなれねえ。
そして、そんなお前のことを好きだってヤツだって居るんだ。そいつらのためにも、あまり自分を嫌うな」
「……おう。今回のことで思い知ったよ……俺は、お前やササハラみたいにはなれない。けど、俺は俺のままで……
『身体はデカいくせに、気が小さいヤノ』のままで、この戦いを最後まで見届けるぞお……」
「………………………………」
ヤノ「そんなヤツが、福岡ファイターにひとりくらい居てもいいだろお……?」
「…………へっ。なに言ってんだよ、相棒。お前が居てこその、俺たちだろうが」
ニヤリと笑ったハヤトが拳を示してくる。
俺はそれに拳をゴツンとぶつけた。
痛ぇ、と言ってハヤトが顔をしかめる。
俺の中に、破れた恋の痛みとともに、決して消えない感覚が残っていた。
ササハラが俺の身体を完璧に扱ったあの感覚。
自分をはるかに超える異質な力とぶつかりあった経験。
そして、サユリのアローを撃ち落とした、あのアリバの矢……。
今やっと、強さの意味が、少しわかった……。
それは、自分を否定せず、自分自身であり続けること……。
弱さや欠点、ダメな部分もすべて受け入れて、それでも、おのれの持ち味を活かすこと……。
「またひとり目覚めた……おかえり、ヤノさん」
いつのまにか俺の隣に来たナミが、ムスッとした顔で、きゃしゃな拳を差し出してきた。
「お、おう……あらためてよろしく頼むぞお!」
俺は、その小さな拳に、そっと、慎重に、自分の拳をチョンとぶつけた。