【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ第2作目 第24話【深夜の慟哭】
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ウィルトンがそうやって感傷に耽(ふけ)っていると、アントニーが優しく声を掛けてきた。
「これは我々の業(ごう)なのです。でも、私たちは共にそれを背負うと誓ったのでしたね」
「ああ、そうだ」
ウィルトンはそっと息を長く吐いた。緊張と胸の苦しさが和らぐ。
「ありがとうな、アントニー」
「どういたしまして、我が盟友」
アーシェルはそんな二人をしばし見守る。やがて、こう言ってきた。
「まだ探しましょう」
「まだ他にいるとお考えですか?」
ウィルトンは聞き返す。
「ええ。以前にもこんなことがありました。その場にいた野犬だけではなかったのですよ。後から来られるよりも、こちらから先に見つけ出して倒しておきたい」
「そう言えば昨晩は」
ウィルトンは、アーシェルが鎧姿で現れたのを思い出す。
「ええ、夜でしたし、私は夜目が利かないのです」
そうだろう。普通、人間は夜目が利かない。ヴァンパイアとは違う。
「お一人でしたか?」
「伴の者はいませんでした。皆すでに眠っていましたからね」
ウィルトンは、黒髪黒目の三十男はうなずいた。アントニーの方を向いて、
「本当に大丈夫か? この朝の光の中で」
「大丈夫です。まだこれからも探索を続けるなら、血を補給しなければお役には立てないかも知れませんが」
ウィルトンには当然、盟友に血を飲ませるなどわけもない。
「いいぞ、俺のを──」
ここで、アーシェルが剣をすらりと抜き放ち、己(おのれ)の手首よりやや上の皮膚を切って血を流してみせた。
「アントニー殿、どうぞ。あなたにはこれからも、ずっと私の味方でいていただきたい」
アントニーは驚いたようだ。しばし血を吸うのをためらう。
「さあ、どうぞ。この流れる血を無駄にはしないでください」
「……ありがとうございます」
アントニーは恐る恐るといった様子で、アーシェルに近づく。
ウィルトンは何となく面白くない。
「はいはい、お貴族様の血の方が良いんだろ」
言ってしまってから後悔する。単なる軽口と言うには、皮肉の毒が効き過ぎた。
「ウィルトン殿、あなたには血を流すより、していただきたい事があるのです」
「大した血の量じゃないですよ」
ウィルトンは、ゆっくりと言い聞かせるように話した。アーシェルにではなく、自分自身に言い聞かせるかのように。
「ええ、分かっています。新種のヴァンパイアはそのようなものだと聞いています。しかし、これは私の気持ちです。どうかお受け取りを」
アーシェルは真っ直ぐに腕を差し出した。利き腕の右ではない。
こうなっては、アントニーも断れるわけもない。アーシェルの腕を取り、傷口に唇を押し当てた。
ウィルトンはアーシェルの様子を見守るが、何の快感も感じてはいないようである。
「なぜだ? いや、『血の契約』ではないからか。いつも俺には、あんな風にしてくれた」
これはウィルトンの内心のつぶやきである。二人には分からないだろう。
「いかがですか? 手を貸していただけますか?」
「充分です、アーシェル殿。ありがとうございました」
アントニーは丁重に礼を言った。右手を胸に当てて腰から上を倒し、またゆるやかに起き上がる。
「そのような大げさな。ただの血の何滴かを差し上げただけです。さあ、参りましょう。野犬どもはまだ奥にいます」
「分かるのですか?」と、アントニー。
「はい、群れが現れたなら、他にも近くにいるはずなのです。これまではそうでした」
アーシェルは、漆黒の馬の脚(あし)を進めて先に進んだ。二人は後からついて行く。
「お待ちください、アーシェル殿」
アントニーが急に馬の脚を止めた。鋭い警告の声だ。ウィルトンも釣られて止まる。
「何か?」
アーシェルも、背後から馬の足音が聞こえなくなったのに気がついたのであろう、馬首をめぐらせて、アントニーの方を向いた。
「遠くから犬の遠吠えが聞こえます」
「そうですか、私には何も」
アーシェルは驚いたようだ。
「さすがはヴァンパイアの耳だ。で、どのくらいいる?」と、ウィルトン。
「遠吠えしているのは一匹だけですが、おそらくは群れの長(おさ)なのではないかと」
「そうか、他にもいるんだな。どのくらい離れている?」
「まだかなり離れています。向こうはこちらに気がついてはいないでしょう。風向きは、犬の群れの方が風上になっていますから、匂いは届かない」
「そうか、なら不意打ち出来るな?」
ウィルトンはこう訊いてから、アーシェルの方も見た。金髪碧眼の青年領主はうなずく。
「はい」と、アントニーは答える。
しかしまだ彼らの気がついていない事があった。風上にいるのは、犬どもだけではなかったのである。
続く