【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ2作目『深夜の慟哭』第1話
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ウィルトンたちがウェルドの街についたのは、その日の夜明け前のことである。すでに東の空は明るく、あわてて宿屋に入らねばならなかった。
ウェルドの街の城門は、曙(あけぼの)と共に開く。西方世界の多くの都市にある、街を囲む外壁に、造られた門だ。外敵から街を守るためにある。
外敵の多くは魔物だが、万が一人間の侵略者がやって来た際にも、街の人々だけでなく近隣の村々から逃げる者たちをも匿(かくま)い、助けるためにある。
幸い、人間の侵略者は来なくなって久しい。新諸国の時代はそれほど平和ではなかったが、人間同士の大規模な戦争はほとんどなくなっていた。代わりに、というわけではないが、魔物の脅威は増した。
不死者の王であったデネブルが倒されて太陽が見えるようになっても、魔物の脅威が消えたわけではなかった。
「ご領主様は、夜に起きているのか?」
ウィルトンはアントニーに尋ねた。すでに馬小屋の中にいた。宿屋は一杯で、馬小屋しか空いていなかったのだ。見事な栗毛の馬が三頭出された後の馬小屋は広々としている。
馬小屋の片隅で、二人は野外と同じように、革製のマントに包(くる)まっていた。
「それほど遅くない時間であれば。我々はきっと晩餐(ばんさん)に招かれるのでしょう」
アントニーは答えた。
馬小屋の床に敷き詰められた干し草からは良い香りがした。干し草は、簡素で安価な布団の中身にも使われる。質の良き布団には、羊毛や羽毛が入っているが、特に羽毛のは極めて高級だった。庶民には、まず縁(えん)がない。ウィルトンも村では、干し草の布団に寝ていたものだ。
「お貴族様の寝所には相応しくないが、まあ我慢しろよ」
からかうように言うと、アントニーはあっさりこう答える。
「慣れていますよ。四百年間、私が何をしてきたと思っているんです」
「俺たちはデネブルを倒した英雄だぞ! と言えば誰かを馬小屋に追いやって、俺たちが中で寝られたかも知れないな」
ウィルトンは笑った。もちろん、本気ではない。荒事師たる者、野営にも慣れておくものだ。馬小屋くらいで文句を言ってはならない。
それに馬小屋は神聖な場所である。ジュリアン神が人間であった頃、馬小屋で生まれたとの伝説が、広く西方世界には知られていた。
神聖な場所と言えば街の外には時折、見捨てられ廃墟となった神殿や、神殿よりは小さな聖堂が見つかることもある。そんな時、心からありがたいと思って、どんな神や女神が祀られていようとそこで寝るのである。
ウィルトンにはまだそんな経験はなかったが、アントニーにはもう覚えてもいられないくらいたくさん、そんな朝と昼があったのだ。
だから馬小屋くらいで文句を言ってはならない。
「光が入ってきたな」
馬小屋の高い位置に、空気抜きのための窓があった。小さな窓だが、木戸を閉められるようにはなっていない。
「大丈夫です。少しくらいなら平気です。直接、浴びなければ危険はありません」
「何とか窓をふさぐ」
ウィルトンは柱をよじ登り、梁(はり)──天井近くに横向きに渡されている材木で、壁や柱とつなげられて、横方向に屋根の重さを分散させて支える役目がある──に足を掛けた。
窓の近くにある梁に、自分の革製のマントを引っ掛け、マントを留めるための簡素な留め金を使って落ちないようにする。
「よし、出来たぞ」
ウィルトンは柱をつたって下りてきた。
「ありがとうございます」
「俺もこのほうがよく眠れるからな」
ウィルトンは背負い袋から、薄手の毛織物の毛布を取り出した。
「さあ、寝るか」
「これも使ってください。私は寒さには耐えられますので」
アントニーが、自分の着ている革製のマントを差し出した。
「寝心地が悪いだろ、お貴族様」
「古王国時代の貴族は、あらゆる苦難に耐えたのです。だから大丈夫ですよ」
「なら、俺も苦難に耐えるよ」
ウィルトンは笑った。干し草をかき集めて厚みを作り、上に寝っ転がる。じきに寝息を立て始めた。
「おやすみなさい、良い夢を」
アントニーは、そっとささやいた。
青年の姿をしたヴァンパイアは、膝を抱えて干し草が敷かれた床の上に座り込んでいた。馬小屋は掃除が行き届いていて、干し草の良き香りが漂ってくる。今は馬はいないが、微かな獣臭がする。
アントニーは静かにため息をついた。全身をすっぽりと覆う、フードのついた藍色のローブを着たままだ。
扉のすき間から、陽の光が入ってきた。扉からは離れた隅にいるので害はない。もしも浴びれば火傷のようになる。それをアントニーは知っていた。もう何度も試したからだ。
日光を完全に遮断する、この藍色のローブを着ていれば、昼日中でも外を歩けないことはない。それでもかなりの制限はある。
「デネブルの配下たちは、みな夜の存在でした。でもこれから出てくる敵は違う」
アントニーの思考は、眠りかけの頭の中で靄(もや)のように薄れていく。
やがて彼もまた眠りに落ちていった。
続く