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【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ2作目『深夜の慟哭』第2話

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 夜が訪れつつあった。太陽は沈み、夕暮れの光が西の方に追いやられてゆく。

 ウィルトンは先に目を覚ました。アントニーはまだ眠っている。すらりとした身体を横向きにして、干し草の床の上に、革のマントに包まって眠っていた。

 ウィルトンはそっと馬小屋を出た。馬もそろそろ帰ってくる頃合いだ。そうなればアントニーも目を覚ますだろう。

 まだ春先だが、もう春先だ。夜や明け方は寒いが日中はそうでもない。薄手の毛布で充分に過ごせた。

 ウィルトンは、一階が酒場を兼ねた食事処になっている宿屋に向かう。この建築様式は、西方世界のどこでも見られる。二人に馬小屋を貸してくれた宿屋だ。ウィルトンは中に入っていった。

「そろそろ馬小屋を出るよ。部屋は空いたか?」

「空きましたよ。あなたのお連れさんと同じく、新種のヴァンパイアの方が、一人出てゆかれました」

「一人なのか」

「空いた部屋には、二段式の寝台がありますから大丈夫ですよ」

「分かった。その部屋を借りよう」

「では前金でいただきます」

 ウィルトンは銀貨で支払った。

「ありがとうございます。ではお二階へどうぞ。廊下の突き当たりの一番奥の部屋ですよ」

「分かった。それと赤ワインを」

「どの等級の物にしますか?」

「一番高いのをくれ」

「ではこちらで」

 陶器の瓶に入ったワインを一本受け取った。

「よし、ありがとよ」

 ウィルトンがカウンターに背を向けると、アントニーが立っていた。

「起こしてくれればよかったのに。もう夜で馬も帰ってきましたからね」

「もう少し寝ていてもらおうと思ってな。部屋が空いてるのを取ったから、少し休んで行くか」

「そうですね。このままご領主の許に向かうのもなんですから、身支度を済ませましょう」

「それと、これだ」

 ウィルトンはワインを渡した。

「ありがとうございます」

 アントニーはにっこりと笑う。

「それじゃ、二階に行くか」

 ウィルトンは先に階段を上(のぼ)っていった。

「ここは良き宿です。簡素ですが、落ち着いた、石造りの建物。それに清潔です。私はこうした宿が好きです。けれどご領主の許に行くには、ここには相応しくもないような、違う服が必要です。部屋で休んだら、買いにゆきましょう。あなたの分も選んであげますからね」

「おお、そりゃ助かるな。こんな田舎者の服でご領主様に会いには行けないからな」

 ウィルトンは、長旅でしわの寄った濃い褐色の上下の服を指していった。上着にも下履きにも着古した感じが漂っている。田舎の村では、特別な時以外には、こんな服装で皆が平気で過ごしていたが、街中では違うようだ。大体の人が、こざっはりとした服を着こなし、さっそうと歩いていた。

 アントニーの藍色のローブは、飾り気は無いながらも、ウィルトンの着ている物よりはずっと仕立てもよく上質そうに見える。それでも貴族の晩餐に招かれるには難があるだろう。

 二人は宿の主人に言われたとおり、二階の廊下の突き当たりの扉を開けた。中は思ったより広い。窓のそばに、二段式の寝台がある。はしごで二段目の寝台に上るものだった。

「おお、この布団には羊毛が使われているんだな! さすがは都市の宿屋だ」

「そうですね。羽毛に絹の布団の宿もありますよ。もちろんそうした宿には、誰もが泊まれるわけではありません」

「おお、お貴族様は素晴らしい宿屋に泊まったこともおありなのだな」

 ウィルトンの軽口に、アントニーは苦笑した。

「大体は無償で泊めてもらえたのです。それだけのことはしましたから。デネブルを倒せなくても、それ以外で。それに私はもう貴族ではないので。お貴族様、は止めてください」

「ご領主様に言って貴族の地位をもらおうぜ。もちろんご領主様よりは格下の貴族ってことにはなるが」

「あいにくですが、私はもう貴族にはなりません」

「何言ってんだ。お前ほどその地位に相応しいやつはいないぞ」

「駄目ですね。私はもう、貴族としての責務を果たすのに疲れたのです」

「そうか。でもご領主様はなんて言うかな。俺たちをずっと味方にしておきたいなら、必ず金と地位で釣るはずだ。そうしたら、いざという時以外には遊んで暮らしていていいんだぞ。いわば領主様に雇われた用心棒みたいなもんだ。領主様は宿屋の主人で、この領地は宿屋。だとすると、おかしな奴が来なきゃ、普段は何もしなくていい。ただ、にらみを利かせて、そこにいるだけでいいんだ」

「それでも引き受ける以上は責任が生じます」

「デネブル以上に強いやつが現れるとは思えんな」

「分からないのですね。そんな単純な話ではありません」

 ウィルトンは、はしごを上がって羊毛布団に寝転んだ。

「単純って?」

「私たちは、領主を脅かす存在と見なされるかも知れないのです。仮にご領主自身はそうお考えでなくとも、ご家来の方々には、そう考えて私たちを危険だと思う人もいるでしょう。まず間違いなくそうです」

 ウィルトンは黙って嘆息した。

「なあ、とりあえずその赤ワインを飲めよ。一番上等なのを買ったんだ。俺は下で腹ごしらえしてくる。そうしたら、また二人で考えよう」

 考えている暇はあまり無かった。城門を守る門番が、領主に報告をしていたからである。

 じきに領主からの使いの馬車がやって来るのだが、ウィルトンもアントニーも、まだそれを知らない。

続く

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片桐 秋
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