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根拠のない自信 | 手術日 10-6週間前

かかりつけのレディースクリニックで「子宮内膜異形増殖症」という病名がついたのは8月頭のことで、その時に夫に送ったメッセージは次のような3行だった。

このメッセージを送った2週間くらい前(子宮内膜の異常が発見されて諸々検査することになった頃)は、母も子宮癌だったし、たぶん癌なのだろうなと確信めいていたので、いくぶん拍子抜けのような雰囲気でこのメッセージを打っていた。母は、偶然にもその時のわたしと同じ年齢で同じ癌に罹患しサバイブ、今も元気だ。そのことがわたしに盲目的な自信をもたせてくれていて、癌になっても早期なら全然平気とあっけらかんとしていた。レディースクリニックの医師も看護師も、なんの精神的なダメージを受けた様子をみせないわたしに少し戸惑っている印象だった。

🤷🏻‍♂️

大学病院へは、紹介状の宛名に書かれた教授に診てもらえる直近の日に行くことにし、それまでの期間で、仕事の整理を着々と進めることにした。頭の中に描いた見積りは、最短で手術できるとしたら9月のどこかなので8月末には仕掛り中のプロジェクトは引き継ぎを完了させて離任、9-10月の2ヶ月間は最低でも休養期間として可能なら11月から復任(もちろん約束はしない)。身体的にも精神的にも負荷の少ない幾つかの定常業務は、お客様に事前相談の上でなるべく継続させてもらおう。この方針でコミュニケーションを開始した。細かいことは書かないが、健康を取り戻すことが最も優先すべきことだと、手前勝手な申し出をお許しいただいたお客様へは感謝の言葉もない。

🙇

紹介状を受け取ってから2週間後に大学病院で受診。レディースクリニックからの申し渡しの内容を一読した教授は、子宮と卵巣を全摘するしか方法はないので最短の日程で手術しましょうと即判断。10月頭に手術日が仮押さえされ、術式の説明、手術前検査の説明と予約取り、入院手続きの説明と、なかなかのスピード感でことが進み、フル回転で話についていった。

🤯

最後に、うちでも病理検査をしておきたいのでと診察台へ促され、子宮内膜の細胞を採取された。

入院と手術の日程が明確になったことと、入院までに必要な検査や準備作業もみえたことで、診察室を後にしてからは、仕事の引き継ぎと新しく積まれたタスクをどのようにスケジュール調整するかに思いを巡らせていた。病気は手術すれば治るものと相変わらず信じていた。

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