
【中編】『娘がパパ活をしていました』発売記念対談 グラハム子×山内マリコ
―パパ活は本当に深いテーマです。もしご自分の若い頃にも性搾取のような体験があれば、教えていただけますか?
山内:私は田舎のダサい女子高生だったので…。援助交際は遠い都会の話という感じで、クラスメイトにもやってる子はいなかったですね。別の高校に行った子から「◯◯高校には売春組織がある」みたいな噂が聞こえてきましたが、もちろん真意不明で。メディアの中の盛り上がりとはかなり温度差がありました。いずれにせよ援助交際は、カースト上位の強者のもの、という認識でした。大人びたカッコいい子がやることだと思っていました。
援助交際自体がメディア経由で広まった現象だったと知って、ヤマンバギャルだった友達に聞いたら、東京の流行が載っているギャル雑誌を熟読して、とにかくそこに書いてあることを真似する、みたいな感じだったと言っていました。雑誌を教科書にしていた点では、私と同じだったんだなぁと。
―雑誌のコアファンがいましたよね。
山内:当時は雑誌カルチャーの影響力が強くて、言いなりみたいな感じでしたから。当時のメディア全般に、援助交際を罰する雰囲気があまりなかったんですよ。そんな中で、もし好きな雑誌に、援交のことが罪悪感なしに肯定的に書いてあったとしたら、「自分もやらなくちゃ!」と駆り立てられていたかも。
―罰する雰囲気が薄かったですよね。
山内:テレビを見ていたら「女子高生の援助交際、どう思いますか?」みたいなことをおじさんたちが語ってる、みたいな感じでしたね。おじさん評論家たちが当事者そっちのけで舌戦してた印象。
ハム子:『噂の!東京マガジン』とか。
―ありましたよね、噂の!東京マガジン。おじさんばかりの。
ハム子:女の子に料理させるやつ(笑)。
山内:当時ダサい女子高生だった私は、援交とかしてる女子高生が世の中をひっかき回してるみたいな気がして、「かっけぇーな!」くらいの感じで見てたんです。今から思うと倫理的におかしいことなんですが、あの頃の援交って少し輝いて見えてました。制服を着ていると自分の価値が上がる感覚はたしかにあって。制服でいると大人から声をかけられたこともあったけど、怖、と思って逃げた記憶があります。
―そこは違和感を感じたってことですよね。
山内:そうですね。その人は顔色が黄緑色で(笑)、生理的にNGだったから瞬時に逃げられたけど、そうでなかったら付いて行っていたかもしれません。当時は村上龍さんが『ラブ&ポップ』で援交モノを書いて、それをエヴァンゲリオン直後の庵野秀明監督が実写化したり、援助交際カルチャーの周りでいろんなアーティストやクリエイターたちが創作をしていたんですよ。そんな風にカルチャーを生み出してる感じがかっこいいなと思っちゃってたし。当時の女子高生にはフェミニズム意識なんて微塵もないので、ますます「何が悪いんだろう?」みたいなところはありました。けれど実際にちょっと声をかけられたらあまりの気持ち悪さに拒絶反応、という。逃げられた自分を今なら褒めてあげたいですが。
―ハム子さんの学生時代はいかがでしたか?
ハム子:私も田舎のダサい女子高生だったから…(笑)。でも、だから援交してる子のほうがヒエラルキー高いの、分かります。田舎ってそうなんですよね。
―女子としての価値みたいな、ね。
ハム子:頭が良いことよりもイケイケの方が価値が高くって。そしてその当時って心が柔らかいから、そういう環境にいたら私もやっていたかも…。今思えばラッキーなだけだった、っていうのはありますね。私は2000年くらいに女子高生になったんですけど、ちょっと90年代とかのドラマって、なんか女の人が性に開放的な感じのものが多かったイメージがあって。小中学生の頃は「これからは女の人もエロいことをする時代なんだ」みたいな間違った知識を持っていました。心が柔らかい時期だから当たり前に入っちゃって不思議ですよね。
嫌な性体験をいうと、私は大学進学をきっかけに18歳で東京に来たんですけど、そのとき中野か新宿を歩いていたらおじさんに話しかけられたんです。メイド喫茶がちょうど流行り始めた頃で、その店のスカウトだったんですが、ちょっと嫌だなって思っていたら「うちは『萌え萌え』じゃなくて、スタイリッシュでバー形式だから大丈夫だよ」って。「演技は必要ないし時給もいいから、ちょっとやってみない?」って言われて、体験に行ったんです。
―素直!(笑)
ハム子:メイド喫茶って流行り始めたばかりだったから、それに引っかかる私、もしかして可愛い?とか思って(笑)。言われ慣れてないから。で、行ったら接客はほんとに普通だったんですよ。レストランみたいにお酒作って。でも休憩の時間に、控室でおじさん店長の隣にピタッて座らされて…。「おかえりなさいませ」の練習をしようか、という流れになって…。
―演技指導が入る?
ハム子:はい。「おかえりなさいませ」って言ったら、「今度はセクシーに言ってみようか」「今度は耳元で言ってみようか」って。それが1日目。そして2回目の体験のときに「膝に乗って言ってみようか」って言われて。その時は本当に怖かったのか、心がなくなっちゃって、膝に乗ったんですよ。でもそれ以降行くのをやめました。でもあれを我慢して続けてたら、どうなってたんだろう…。それこそ違和感でやめられたのでよかったのかな。
山内:『娘がパパ活を〜』にも描かれていましたが、違和感に素直に従って逃げるは、女性がとれる最大の防御ですね。
―そういうひっかけみたいなこと若い頃はじゃんじゃんありますが、皆さんもそういう経験をして大人になったんですね。
山内:私は田舎から都会へと移動してきたので、いつもちょっと緊張していたし、心底警戒して生きていました。「東京で一人暮らし」なんて、ちょっとでも気を緩めると殺されると思っていたので。暗い道では時々ふり返って、変な人が付いて来ていないか確認したり。寄り道せず、すぐ家に帰ってました。猫を飼っていたので、心配だからいつも直帰。そのくらい警戒してはじめて、悪い誘惑を寄せ付けないでこられたのかなと。
―それってどこで会得するんでしょうね? 今はおじさんとも勝手に繋がってしまうSNSがあるけど、SNSのある青春を送ってない母親が、今の娘にどう立ち向かうのか…というところがこの本の一番の読みどころで。危険だからといって携帯一生取り上げて、ずっと家から出さないというわけにもいかないし。そこが本当に、子どもを育ててらっしゃるお母さんたちの一番不安なところなんじゃないかなって思っています。
ハム子:18歳って成人の区切りではあるけど、18歳でいざ大人になってるかって言ったら、そんなことないですよね。
山内:全然ですよね。むしろ振り出しじゃないですか? 子ども時代を卒業しただけで、大人としては0歳なんですよね。大学1年生で一人暮らしをはじめたときは、精神的にもすごく不安定だったし、親の庇護下にあった高校時代よりもはるかに余裕がなかったです。ちょっと子供返りしてるような感じで、すごくジタバタしていたし、大変だったな。恋愛が占めるウエイトが増えて、頭も心も支配されてしまうし。
―24時間を全部自分で使えて、一気に自分で全部判断して…っていう、本当に「放たれた」状態ですね。そこで善悪が明確に分かる18歳っていない。だから幼児化するってのはありますね。
山内:SNSの有無は大きな違いだけど、野に放たれてから、特に女の子は男性関係でものすごい手痛い失敗を経験しないと、大人になれないのかも。今思い出しても「うわー!」って思うような最悪の失敗、ありますから。けど、あの酷い経験なくしては、今の自分になれなかったなーという。女の子が大人になるにあたっての必要悪みたいな。
―大人になる一歩でしょうね
ハム子:失敗経験がなかったから、40歳ぐらいで大失敗しちゃう人もいるし。だからある意味20代で失敗しておくのは、良いことではないけど…正しいことな気がしますよね。
山内:大事なことですよ。『娘がパパ活を〜』にもあるような、警察にお世話になるレベルの失敗。だけど手痛い経験は学ぶチャンスだから、「この子もついにここまで来たんだな」と思って、傍観するのが大人の役目というか、大人の仕事だなあと。すごく難しいですけどね。
≪対談は後編に続きます≫