感覚値として捉えられた重要なこと
今、急いでいる。
とても大きな気付きを得たから、すぐに書き留めたいのだ。
『コーチング』『対話の場』に対する違和感が言語化された。
それらでお金を稼ぎたくない違和感の正体に近づいた感じ。
どちらも、凄く大切で必要なものだ。人々は、1時間ただ話を聴いてもらえるだけのコーチングに満足して、お金を5000円くらい支払う。
ただ自然の中に行って感性を開いて気持ちをシェアすることにも、時間とお金を使う。
なぜだろう。
答えは明確だった。
ないからだ。
日常の中に、それがないから。
聴かれていないし、気持ちを共有出来ていないから、求める。
だからそれにお金を払う。
自分の話を1時間も十分に聴いてもらえることなんて、ないからだ。
僕は不思議だった。
なぜそんなに人が喜んでくれるのか。
僕とまた話したいと思ってくれるのか。
それは、僕が聴くことをしているからだった。
ちゃんと聴こうと、しているからだった。
だって、みんな聴かれていないから。
それだけでよかったし、それがほしいのだ。きっと。
僕は、対話になれた人たちと対話をすることに、昔ほどの魅力を感じなくなった。それは、僕自身がもう飽きているからだ。日常を生きることの方が面白いと感じるからだ。
でも、世の中にはきっと対話も、傾聴も、まだそんなにないのだろう。
だから珍しいし、みんな欲しがるのかもしれない。
それを生業にする、『コーチング』なるビジネスが生まれてしまったのかもしれない。
僕は寂しい。お金を払わないと話を十分に聴いてもらえないという体験が。僕は悲しい。お金を払わないと、話を十分に聴いてもらえる人が身近にいないという現実が。
プログラムやイベントのような、非日常や一過性のものではない。
日常的にそれがストレートにし合えるような、豊かな関係性の中を、生きていきたい。あるがままがぶつかり合って喧嘩して、そして妥協点を見つけてなんとか人と生きていくという、当たり前の作業をしながら生きていきたいのだ。
今この瞬間からもきっとそうやって生きることは出来る。
面倒臭いしややこしいけど、やっぱりそれが人間なんだと。
人間というめんどくさくて不可解で、でもだからこそ愛おしく気になって愛すべき存在を、やっぱり愛しながら僕は生きていきたい。
今日の対話の時間でもらったことば。
『そこに居る・在る』『メタモン(変態)』『ひだまり』
3分話しただけでも、ちゃんと聴いてもらえば伝わるし聴こえて来る感覚。
言語なんてただの手段。本当のその人は、その人全体を通じて伝わってくるし、受け取っているんだよな。
しみじみ感じ、そして明日もそうやって生きることをしていきたい。