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僕のADHDと社会不適合者の烙印について

こんにちは。久しぶりにnoteを書こうかと思いましてアプリを開いたところ、過去の自分の投稿がキショすぎてデジタルタトゥー!!!!!!!って思いました。
皆さん、寒くなって参りましたがどうお過ごしでしょうか。
お久しぶりです。片野です。


僕は平日の昼間からこたつに入り暖房もつけ、暖かい部屋で過ごしております。もう夜か、銭湯行きます。

と、いうのもわたくし現在、休職の身となりました。わー!

ショートコント「サラリーマン」をこの春から本格的にやってみていたんですが、
なんか周りと全然噛み合わないというか、なんか上司に目をつけられるというか、何度もあなたはおかしい!あなたはおかしい!と言われるなあ、と思っていましてですね

病院に行ってみたところ、私人生で初めてADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されまして、
あ〜〜なるほど!どおりで上手くいかねえわけだ!
と、納得したわけでございます。
まあ正直なところクソほど病んでおりましたが。

あなたはおかしい!という正式な烙印まで押されてしまったような感覚もございまして、
「あなたはおかしい!」という実際に言われた言葉と、そのレッテルを貼られた感覚がどうも心に突き刺さりましてね、
まあ〜〜病みましたね。
病み度でいったら9くらいは行ってたかな(上限不明)と思います。

まあほんで精神疾患ですね、
僕の場合は不安障害(厳密にはパニック障害と適応障害の併発ですね)というのもあり、それも悪化しまして、
仕事中に過呼吸、動悸、パニックなどなど、むかーーし出ていた自傷癖まで再発して、まあ色々起こりましてね、
いや〜〜〜普通って難しいですなあ!という感想です。

周りの人にも聞こえるような声で
「男のくせにナヨナヨしてるのが悪いんじゃない?」とか
「片野さんって何言ってるのか全然分からない」とか
「受話器に片野さんの手汗がついてて触りたくない」とか

ん"〜〜〜〜〜!!!!!!

ってなるような言葉をたくさんいただきました。
社会、ん“〜〜〜〜〜〜!!!
ですね。
まあもちろん、自分の引き起こしたミスによって嫌われていった、というのが元の部分にはあるんですが。

皆さんがしてる「当たり前のこと」って実はものすごく難しいですね。
必死でないと当たり前って維持することすら難しいんだなと、身をもって体感いたしました。
いや〜みんな、すげえな〜〜。本当に皮肉ではなく尊敬いたしました。
いやあ、すげえよみんな。


なので僕もそりゃあ必死になってしがみつきました。自分の限界を超えてでも頑張るつもりでやってきましたが、
それでも要領よくこなせず、小ミス、凡ミス、大ミス、様々なミスを毎日こなす達人になってしまいました。

それが積み重なり、というかまあ罵倒とミスに対する自己嫌悪ですかね、が積み重なり、わたくしはとうとう体調面、精神面で限界を迎えたようで、

体重は7キロくらい?減りまして、心療内科では「もうこれ以上お薬でなんとかするのは無理ンゴねぇ」と、主治医にも匙を投げられた始末でございます。

ほんで医師から出された診断書をそのまま職場に提出したところ、休職と、相成りました訳でございます。

サラリーマンってむじい〜〜〜〜😓が今の感想です。

まあ、しばらく療養したらまた何か別のことしようかなあ、とか現在はそんなふわふわしたことを考えております。

でもね、ちょっと「あなたはおかしい!」と毎日言われすぎたので、自己肯定感がひん曲がってしまいまして、直すのに少々時間がかかりそうです。
まずは療養、療養。

「自分は社会不適合者なんだ」と何度も頭によぎりました。その気持ちを一生懸命拭いながら毎日片道1時間15分もかけて出勤していましたが、う〜ん、ダメでしたね〜

くぅ〜疲れましたw これにて完結です!

って感じです。

ただね、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、
負け犬の遠吠えとしてでもいいので聞いていただきたいことがありまして、

僕は、ADHDである自分が悪いのか、という問いに対してはイエスと答えたくない部分があります。


大人になってからADHDが発覚するというケースは世の中でも散見することではありますね。
医療が発展した最近なんかは特に。
大人になってから自分が発達障害だと知った、という方は実はそんなに少なくないようにも感じます。


正直に申し上げますと、"社会"にはADHDに対する受け皿があまりにもない、という風に感じます。

自分で言うのは大変おこがましいですが、人より2倍3倍努力するつもりでサラリーマンをやっていました。
自分の要領の悪さに気づいてからは尚更、怠け者だと思われてたまるか、という気持ちで絶対に遅刻しないよう、誰よりも遅く帰るよう努力していたつもりでした。
注意された点はノートに書き、復習し、間違えないように間違えないように、他の方に迷惑をかけないように、と努力したつもりでした。
それでも、「あなたはおかしい」と言われ続けました。

ADHDであることをキチンと報告してからも尚、理解されることはなく、自分の努力不足だと言われ続けてきました。

まあそうですね。言ってることは正しいんです。結果として出てないんですからね。
ただ正直、自分の性質や特性を、もしもほんの少しでも他の方が理解してくださっていたら、こうはならなかっただろうなと、そう思う部分も多分にあり、
なんだろうか、やるせねえな、とも思います。
正直に、誠実に、努力し続けても報われない、というのはどうにも苦しいところでございました。

もし皆さんの周りにそういった方がいたら、要領が悪くても、イライラしても、良ければ、どうか良ければ少しだけ優しく見守っていただければと思います。


先日、11/11ポッキーの日に、久しぶりにバンドでライブをやらせていただきました。

久しぶりに会えた友達も多く、本当に最高ラブリーキスキス超ハッピーな1日でした。

また、それとは別の感情も抱きまして、それについても、少々お話させていただきたい。

僕は自分のライブ活動が「祈り」だと思ってやっております。そうですね。ええ。大変痛々しい発言ではございますが、すいません僕のブログなので、一旦この感じでいきます。

前にもどっかで話したんですが、音楽自体が「祈り」に近い存在であるとするならば、バンドはその「祈り」がブーストした状態とも言えるのではないか、と思っておりまして
誰かの幸せを祈願したり、うんたらかんたら、ですね。

その日、初めて「君に話すよ。」というバンドを見てくださった方にお声をかけていただくタイミングがございまして、
「死ぬことばかり考えていたけど、もう少し生きてみようと思った」
と仰ってくださいました。

僕は絶対にそういう言葉を忘れちゃいけないな、と思うんですね。
僕はただ祈ることしかできないんです。
その代わりに、祈ることが出来る、それだけなら少しは出来ると、そう思うことで僕の救いにもなりました。
そして、その人の一生や人生全てを支えることはきっと出来ないでしょうけれども、ほんの少しの間だけでも、背中をポンと叩いてあげられるような歌を歌っていけたらいいな、と思ったわけでございました。

なので当初はアルバムを作りたくて組み直したバンドであったものが、今は少しずつ別の意味合いで、形を成していっているような感覚があります。

空中に投げかけていたはずの願い事が、なんとなく叶ったような日でもありました。

と、勝手に僕が思ってるだけでもいいと思えるような日でした。

お恥ずかしながら、その日僕がMCでも話させていただいた言葉の中に「あなたたちが僕を忘れても僕が覚えてればいい」といった旨の発言がありました。

僕が覚えていればいいと思います。
音楽はいずれ消費されて飽きられる日が必ず来ます。
それは僕らバンドマンが水物で、娯楽であるがゆえに当たり前のことでもあります。

なので、いつか皆さんが僕のことを忘れる時が来るでしょう。
忘れないでほしいなんてとてもじゃないが言えません。
僕が覚えていれば、もうそれで完結するんです。

あの日あの瞬間に僕の願いがほんの少し、届いた人がいた。その事実だけで、僕のご飯が進むわけでございますね。

社会不適合者ではありますし、ADHDでありますし、精神疾患もしっかりとお持ちのようでございますが、
これからも空中に向かって、誰かがほんの少し苦しみから救われますように、と願いながら歌っていこうと思います。

厚かましく大変クっっサい長文ではございますが、
ええ、まあ、一緒に生き抜こう、と
ただそれだけのことでございます。

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