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死ぬ死ぬ詐欺野郎、謝罪。

こんばんは、昨日に引き続き、片野です。
体調日々よくなってます。ぶい
昨日の記事書いてからちゃんとメンタルやられてます。ぶい

昨日の記事、サラッと書いてしまいましたが、
死ぬー!!と発信し始めてから4ヶ月弱
生きるー!!に変わりまして、
この4ヶ月弱でちゃんとどこかで物議を醸したりしていたようなので、改めてちゃんと書くべきことを書いていきます。

ええと、そうだな。
昨日と合わせて言わなきゃなあということがありますのでまずその話を書いて、
そのあとこのnoteどうすっかなーというお話をします。

まず、死ぬ死ぬ詐欺野郎になったことについて、
多分勝手に書いてるんで放りっぱなしになって、読んだ人の心を勝手にざわつかせたりしたんだろうと思うんです。

死ぬー!って言って、生きるー!って言ってるわけですから。
このnote。長きに渡り、そんなに長きに渡ってねーけども、
色々思うところあり!!!みたいなことをたくさん書いて来ました。


死ぬんかい、でひとざわつかせしてんのに、
んで結局死なんのかい、でまたひとざわつかせさせたと思うんです。
それについては、ちゃんと会った人には個々に、
この記事では、ざわつかせてしまった方々に謝らせていただかなきゃいけないと思い筆を取った次第です。

まずエンタメとして読んでください、というのは大前提として書いていました。が、
その上でラフに読んでくださいとかって、前置きをしても、まあ読み手に投げかけた、でけー爆弾を書き手が野放しにするのはちょっと違うな、と思い。


実際死ぬ死ぬ詐欺になってしまっているわけですから、もう本当にただざわつかせただけの男ですし。ただのざわつかせ野郎に成り下がったわけですし。
でも、それに関して冗談は1mmも介在していなかったんで、
ちゃんと謝ることもしなければならないと思いました。

ざわつかせてしまった方々、お騒がせしまくってしまった方々、悲しませてしまった方々
本当に、本当に、申し訳ありませんでした。

死ぬ死ぬ詐欺野郎のレッテルもちゃんと貼っていただいて、その上で罪を贖う、償う気持ちで謝罪行脚し、これについては謝ることしかできませんが、ちゃんと罪を贖いながら、その罪も背負って生きていかなければならないな、と思っている次第です。

多分各々、自分の中の人生と照らし合わせて、それぞれヘイトを僕に向けたり、遠くで見てるだけの人もいたり、色々考えさせてしまったかと思います。

僕の人生も従兄弟が自殺しており、尊敬する先輩の死や、めちゃくちゃ慕っていた先輩の死も経験しており、友だちだった人の自殺や、それだけでなく肉親の死についても経験しておりますし、最愛の人を亡くし泣いた経験も多々あります。
多々なんて言葉では言い表せないほど沢山の感情がありますが、まあとにかくそういう経験があります。
なので、死について軽く扱っていた気はまったくありませんが、それでも、
何も思わせずにはいられないような行動をしてまいりました。

なので、しっかりとお叱りは頂戴いたす覚悟でございますし、その上で情けないのですが、本当に情けない限りではございますが、
生きます。

お騒がせして本当に申し訳ありませんでした。
この罪の贖い方についても言葉で表すだけで贖える物だとも一切思っていません。
これからの行動で、自分自身の活動で、自分自身の行動で、償っていかなければならぬ、と思う所存でございます。

ダセぇことしやがって、はまじで自分でもそう思ってます。
個人的に会いに行った人もたくさんいる訳だから。
借金までしてね。アホか。いやそこに後悔はないんですけども。
まじでダセぇし死ぬ死ぬ詐欺野郎ってまじ最低ですからね、僕は今までそう思ってた訳ですから。当事者になっていますね。はい、もうお恥ずかしい限りでございます。

この件で僕のことを嫌いになった人も沢山いるでしょうし、ご心配を知らぬところでかけていた、なんてこともありましたので、それについてはもう謝っていくしか、というか、ちゃんと背負っていくしかないと思います。

今までそうやって背負いに背負って潰れてきてるんですけどね心。
だけど、それでも、ちゃんとこの死ぬ死ぬ詐欺野郎のレッテルも背負ってその上で、お騒がせして本当に申し訳ありませんでした。と、まずは謝らせてください。
お恥ずかしい限りではございますが、申し訳ない。本当に。

ちゃんとこれからの行動で謝意を示していけるよう、僕なりの気持ちが永遠に残るよう、自分なりの責任の取り方を模索しつつ、
完全にまっさらな0からのスタートの気持ちなので、
ちゃんと罪を贖いながら、前に進んでいかなければならぬ、という気持ちです。

なので一旦、このnoteも消そうかな、と考えましたが、
いわゆるデシダルタトゥーですね、黒歴史。
これも汚点として、しっかり残しておこう、と思いました。
超恥ずかしいイタイタキショ引きこもり野郎であったこともちゃんとインターネットの海に残しながら、いずれ忘れ去られるであろうこのnoteに生きる意志について表明しながら、お騒がせしてしまった件について謝らせてください。

この一連の出来事、死ぬと決めた4月から7月までで物凄い大きな気持ち変化がたった4ヶ月弱で何度もありました。
死のうかなというのはもう、2021年の12月ごろからなんとなく思っていたわけですから、それから今日までで怒涛の日々でございました。
人に会うたび、人に言葉を残そうとする度に、本当にたくさんのものを逆にいただいてまいりました。
そんなことは会ってない人にはなんのこっちゃ分からないでしょうし、変化があったって言っても片野は片野ですしね、

なにも考えず楽しかったから生きようー!とかそういう領域の話ではございません。
でもそう見えてもおかしくありませんものね。

沢山の「死とは」「生とは」という部分について触れて来ました。この4か月弱。その中で沢山の変化と融合がありました。
その上で迎えた7/9、7/10でございます。

満を持して迎えて、やっぱりそうだったんだ、という部分もあれば
どひゃー!?!そうだったのかー!!!という部分もあり、なんというか激烈に変わった感情の変化ではありませんでした。
それも7/9と7/10の2日間で激烈に変わったわけでもありません。

生きようと、思うまでのプロセスは何度もありました。
そして生きようと足掻く行動もいくつもしてきました。
本当にそれこそ俗っぽい話からすると好きな女の人に告るとか、
犬の里親募集サイトみまくって単身でも犬飼えないか探しまくったり、とか
他にもたくさん色々ね、生きるために足掻く行動もたくさんしてきておりました。

その上で迎えた7/9と7/10だったのです。
だから徐々に生きる方向にね、何かが向かっていくような感覚はずっとありました。
それはなんとなあーく、今までの記事を読んでいただいていた方達も感じてはいたのではないでしょうか、そんなことないか。ないか。

分からないけど、とにかく「死ぬ」と投げかけて沢山(少数かもしれん)の人に一石を投じた訳でございます。
その男が今「生きる」と言ったその覚悟も、もしよろしければ、もし、よろしければ、見守っていただけないかと、思う所存でございます。

恥を偲んで生きると言っております。
その恥も背負っていこうと、そう思っております。

もし、よろしければ、無理なら一向に構いませんが、
生きると言ったこの情けない男の背中も見ていただけないでしょうか、というお話です。

とにかく個人的に迷惑をかけた人には個人的にちゃんと謝っていくつもりでございます。
現在休職中、何をどう動こうかも、模索中でございます。
本当になにもここからのことはノープランでしたから。
本当に模索中、から始めます。

このnoteは残します。これから更新していくのか、までは分かりませんけど、とにかくデシタルタトゥーとしてここに残しておきます。

本当に申し訳ありませんでした。
頑張って、全部背負って、全部守って、それでも生きていきます。
よろしくお願いします。

片野第二章がんばります。
よろしくお願いいたします。

重ね重ねになりますが、ご迷惑やご心配、お騒がせしまして大変申し訳ありませんでした。

ただの男片野、頑張ってまいります。

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