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かすみを食べて生きる98:あとがき

『かすみを食べて生きる 序文と目次』
<発症数年後


「かすみを食べて生きる」を書き始めてしばらく経った頃から、私の中でずっと迷ってきた事がありました。

この物語はハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。

退院までで終わればきれいにハッピーエンドになりそうです。
でもその後の事を書くと、きれい事ではすまされない現実が出てきます。
後遺症は日々私を苦しめ、日常にはどん底の日もあります。
そして幸いにも現実はまだ「エンド」ではなく、日常は続いています。

迷った末、両方を書くことにしました。
後遺症に悩まされたり、後ろ向きな感情に飲みこまれそうになりながらも、なんとか日々におもしろさを見出して生きている人の物語も世の中にあれば、多少の糧になることもあるのではないかと思ったからです。
私自身がそんな物語に出会いたかったということもあります。

また退院して家に帰った時に患者がおかれる状況は千差万別だと感じたので、ひとつのケースとして私の場合を書いておきたいという気持ちもありました。

日記の形で読む人が追体験できるように、できる限り毎日1日分の記事を公開することを目標にしていましたが、途中体調を崩したり、忙しくて手が回らないこともありました。

フォローをしてもらい毎回読んで下さった方には、勝手ながら並走してもらっているような感覚になっておりました。
読んでいただいて、ありがとうございました。
頂いたコメントやスキは、とても励みになりました。

入院中、私の回復を助けて頂いた病院の方々にも、この場を借りてお礼を言わせてください。
その節はありがとうございました。
たまにのどに物を詰まらせたり、右半身のしびれに打ちのめされることもありますが、皆さんのおかげで何とか生きています。

気にかけてくれた友人の皆さん、ガリガリチャレンジャーズの皆さん、幼稚園のママの友の皆さん。
直接的、間接的、様々な形で支えてもらいました。
ありがとうございます。

とくに友人のみやこさん(仮)。
入院中毎日私とLINEをしてくれたそのログのおかげで、この物語が成立しました。
そしてあなたがおもしろがってくれたおかげで、この記録を最後まで書ききることができました。
ありがとう!

そして私の夫と子ども。
入院中は二人きりで何とか乗り切ってくれました。
夫は3か月子どもにさみしい思いをさせず、虫歯にすることもなく、日々のケアをしてくれました。
子どもは今でも「あの時は週に1回、外でごはんが食べれてよかったなぁ」などと話します。
今も、私に後遺症がなくもっと元気だったら、かけなくてすんだ負担が日々あります。
私が夕方に力尽きた時は夫が夕食を作ってくれたりしています。
特に子どもはもっと一緒に遊んだり、いろいろとしてほしいこともあるかと思います。
いろいろできなくてごめん。
いつも元気でご機嫌でいられなくてごめん。
一緒にいてくれてありがとう。
そして、この物語を書く時間を取らせてくれてありがとう。

最後に。
私が今の状態にあるのは、早期に適切な医療を受けることができたからだと思います。
飲み込みができない状態で点滴や経鼻栄養を受けることができなかったら、私は飢え死にしていたでしょう。
早い段階で脳を守る薬を使うことができましたが、そうでなければ後遺症の度合いも変わっていたかもしれません。
本当にありがたいことでした。
でもこれはたまたま運がよかったからだとも思います。
めぐりあわせに感謝しつつ、世界中の医療を必要とする人たちが適切な医療を受けられることを願わずにいられません。

これでこの物語はおしまいです。
人としてもっと成長して悟りを開いて、かすみを食べて生きるような生活ができるようになったら「シン・かすみを食べて生きる」を書きたいと思っています。
どうかそれまで皆さん、お元気で。


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