![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157802710/rectangle_large_type_2_941f82d6a14c4ebfb7acfe24d69a3c64.jpeg?width=1200)
愛する人が生きているということ
昨日、精神科に入院する父に、息子と二人、会いに行った。
父は、高次脳機能障害で入院している。
息子は、もう半年おじいちゃんに会っていないから会いたいなといい、
面会制限があるので、私と二人で行った。
父は、息子に会えてとても嬉しそうだった。
もう、何を言っているのか、何を喋っているのか、わからない。
それくらい、発語が難しくなっている父。
それでも、言っていることがわかったことばが何個かあった。
「お母さんが来ると思ったのに。」
娘の私は、父の発言にちょっとショックだったけれど、
父は、母に会いたいのだなと思ったら、なんだか愛おしくなった。
何を話しているのかさっぱりわからなかったけれど、
父が発する言葉に相槌をうち、そうだね、とか、うんうん、とか言って、
15分の面会時間は、職員さんが忙しかったのか、
30分を過ぎようとしていた。
さよならするとき、エレベーターのところまで車椅子を押されながら、
見送ってくれた父。
何を言っているのか、はっきりわかった。
「お母さんに来いっていっちょけ!」
またしても、私でごめんねと思ったけれど、
うん、伝えておくね、と後にした。
母にそのことを伝えると、
「なにか用事でもあったのかな?」と言っていた。
私が思うに、単に、父は母に会いたかったのだろう。
父は、サラリーマンとして、確固たる地位を築き上げたが、
脳梗塞で現場を去った。
それから、10年以上、母に介護されながら生きてきた。
母もお手上げで、入院した。
それでも、父は、母を思っているのだろう。
私は、母が羨ましい。
だって、母は、父に愛されている。
そして、父は生きている。
どんなに、衰えようと、どんなに弱っていこうと、
心の根は、母を愛している。
その揺るぎない思いが伝わってきて、
もう、愛する人がこの世にいない私の虚しさを実感して、
こうやって涙が止まらない。
愛している人が生きているということ。
それが、どんなに尊いことか、世の中にパートナーがいる皆は、
きちんと感じ取って欲しい。
思いの外号泣してしまい、何を書こうと思ったか忘れてしまったが、
とにかく母が羨ましい。
街を歩いていると、
皆幸せそうに見える。
決して、自分が不幸だとは思わないが、
パートナーを亡くすという、こんなに不条理な試練とは戦っていないだろうなと、
頭の中で考えたりする。
パートナー、近しい人、愛しい人を失うことは、
本当に、心の中に大きな穴を作る。
夫が亡くなって、もうすぐ4ヶ月が経つが、
1日たりとも、自分の心の平穏を感じたことがない。
毎晩苦しいし、朝起きると、自分が生かされていることの意味を考える。
なぜ私は生かされているのだろう。
夫のいないこの世界は、全てがモノクロだ。
母は、父が生きていること、思ってくれていることを、
もう少し感謝してほしいなと思う。
もちろん、想いはあると感じる。
心の中にある、ひそかな想いが。
それでも、母は、尖ったことを口にする。
どうか、父がいなくなった時に、後悔しないように、
父を尊んで欲しい。
それでは。