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記録 ②「財産区の子」

前回お話しした「習い事地獄」に加えて、私にはもう一つの重荷がありました。それが「財産区の子」という立場です。

「財産区」という言葉を聞いたことがありますか?これは、今でも農村地域に残る階層社会の一種です。かつての村の地主や資産家の子孫が所属する「財産区」と、そうでない「一般区」に分かれており、代々続く伝統と役割を担っています。私の生まれた村でも、五つの旧村が神社の氏神を祀り、財産区の家々がその維持管理を担ってきました。

財産区の子供には、特定の役割が与えられます。例えば、小学生の女児は「神社の舞姫」として神事に参加し、「浦安の舞」を奉納する役目を果たさなければなりませんでした。選択の余地はなく、神社の行事があれば、平日だろうと休日だろうと呼び出される生活でした

この伝統には、地域を守るという意味があったのかもしれません。しかし、私にとっては負担でしかなく、「子どもなのに、労働扱いされているのでは?」と感じることもありました。長期休みはさらに過酷でした。祖父母は80歳近くまで農業とパート勤めを続けており、家族総出で農作業に従事するのが当たり前の環境だったのです。

幼少期から小6までの生活スケジュール

平日(3歳~12歳)

- 6:30 起床

- 7:00~15:00 通学(登園)、または神社の仕事のために早退

- 15:00~20:00 習い事

- 21:00 就寝

土日祝日(3歳~12歳)

- 6:30 起床

- 7:00~11:30 習い事(書道、水泳)または神社の仕事

- 11:30~20:00 家の手伝いまたは神社の仕事

- 21:00 就寝

家では一日三食が用意されていましたが、生活環境は今の基準ではかなり古風でした。お風呂は中学2年生まで釜風呂、トイレもその頃まで和式の汲み取り式でした。

保育園で気づいた「世界の違い」

保育園に入った私は、あることに気づきました。

「習い事の世界と、ここはルールが全然違う……」

習い事では、「怒られないようにすればいい」というシンプルなルールがありました。しかし、保育園ではそうはいきません。相手の気持ちを察することが求められ、何をすればよいのかわからない状況が頻繁に訪れました。同級生と自然に仲良くなることができず、戸惑う日々が続きました。

次回は、17歳の私が見つけた「逃げ場」についてお話しします。インターネットという新しい世界で、私は何を見つけたのか——。

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