迷子の迷子の迷子の誰かさん
わたしは南瓜とマヨネーズが好きだ。
食べ物じゃなくて、映画です。
原作は魚喃キリコ、監督・脚本は冨永昌敬、
キャストは臼田あさ美、太賀、オダギリジョー。
主人公であるツチダ(臼田あさ美)が同棲中の恋人せいいち(太賀)のためにキャバクラで働き、生活を支えていた。せいいちはミュージシャンになるのが夢。でもスランプに陥りだらだらと毎日を過ごしていた。そんな矢先、ツチダは元彼のハギオ(オダギリジョー)と再会し、過去の恋愛に縋りつこうとする。
こんな感じのストーリー。最近の邦画でよく見るようなストーリーだな、と感じる人が多いかもしれない。それでも何か惹かれるものがあるから、見てしまうのだろう。
誰かの生活を覗いたような、リアルな恋愛映画。いつもの日常だって、いつだって不安定で、いつ壊れるかもわからない。人生って怖いんだよ。ツチダのずるさ、脆さ、イタさってきっとみんな身に覚えがあるから、心臓に刺さる。考え方に共感はできるけど、生き方に共感できない。そんなもんだよね。
お風呂場から響くせいいちのギター。それを聴きながら煙草を吸うツチダ。ありきたりな幸せ。でもどっかで崩れ始めてるって、2人も、気づいてたはず。でもそんな光景がわたしは瞼の裏に染み付いて離れない。
ツチダの元彼のハギオは、かっこいい。いかにもなダメ男で、いかにもな女の子が惚れそうな、いかにもだめなズルズルな恋愛しか生み出さないような感じ。現実逃避したい時に、こんな人間と再会しちゃったら、そりゃもう、ね。
ツチダの「せいいちのために」って言葉は一周まわって、自分のためにって意味なんじゃないだろうか。私は最近よく考える。あなたのためにやってるのよって、押し付けかなって。勿論人にもよるだろうけどね。本当に誰かのことを考えているなら、もっと上手い言い方があるはず。ま、それ以外でなんて言えばいいのなんて聞かれてもわたしにはわからないけどさ。
せいいちがツチダのために歌をうたってあげた。やくしまるえつこのひげちゃん。せいいちの優しさは、声にまで現れていて、ぐっと涙が溢れて止まらなかった。何もかも、誰も報われてないのに、この歌声で報われた錯覚に襲われる。それくらい良かった。
迷子の迷子の迷子の誰かさん
迷子の迷子の迷子の誰かさん
ギターがあるなら歌を歌おう
ギターがなければ手を叩こう
ああ道の向こうにはネコがいる
3回まわってにゃあと鳴く
にゃあ にゃあ
(ヒゲちゃん/やくしまるえつこ)
この歌が迷子の誰かさんに届きますように。わたしみたいな迷子の気持ちを報われるとまではいかなくても、ぷかぷか浮き上がっているこの言葉にできない感情を引き止めてくれますように。