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Bourrée#1
Bouréeというジャンルについて
調べれば調べるほどBourréeの種類は見つかる。いまアクセスできるものだと2tompsおよび3tompsが主である。これは流行りでそうなっているのであろう。フランス舞踊の調査でしばしばぶつかる壁であるが、現代と前近代で踊りの内容がかなり変わっている。良くいえば現代に適合する形に変化して今なお生産されている。悪くいえば、伝統もへったくれもない。もっといえば、現代において前近代の楽譜や伝承を用いて中世趣味で創作された振り付けも見受けられる。これを部外者が見分けるのは難しい。(Medieval danceなどと検索してみれば多くの違和感ある踊りが出てくる。果たして中世においてこのようなことが可能だったのだろうか。観客もいないのに?)
Bourréeの元祖は何だったのか
あのバッハも曲を書いているのだから、17世紀にはあったのだろう。
さて、17世紀といえばフランスではブルボン朝が始まった時期である。つまりはルイ13世による絶対王政が確立されたことを意味する。とはいえ当時の文化の中心はイタリアである。16世紀頭にダビデ像やモナリザが作られたイタリアは恐るべきである。ルイ14世お抱えの宮廷作曲家がイタリア人ジャン=バティスト・リュリであることを踏まえると、この時期のフランスの宮廷音楽および宮廷での踊りはイタリアを中心とする文化の中で作られたとしてよいだろう。そしてそれはBourréeも同じと考えられる。
ちなみに、バッハはルネサンスよりあとのバロックに分類される。ギリシャ・ローマに回顧しよう(これは科学への依拠も含む。要するに中世へのカウンターカルチャーだ)というというのがルネサンスだったとすれば、バロックはそれに飽きた世代が一捻りも二捻りも加えたものといえる。こういった流れはフランスでは起きていないように思えるがどうなのだろう?YoutubeにはBaroque danceなるものがあるが…
古いタイプのBouréeで参考になるものは少ない。信頼できる資料かは分からないが一つ見ていこう。
うーんどうだろう。たしかに当時の宮廷での踊りは社交の道具であったから、男女がペアになり、それもペアが独立せず複数のペアがライン上になって踊る、そして男女の絡みは手を取る程度というのは正しいように思える。
今のBourréeと共通しているのは3歩で歩くことぐらいだろうか。
ちなみにこの譜面は結構有名らしい。譜面で残されているのが音楽の強みだ。
結論
Bourréeは17世紀まで遡ることができる。イタリアの影響が強い宮廷で踊られたのだろう。音楽も遡ることができる。ただ踊りに関してはたどり着けなかった。上記以外にも中世趣味の踊りはあるが、信頼度はより落ちる。でも楽しそうだ。
可能性を探るとすれば、宮廷と庶民で踊りは違っていたとも考えられる。実際異なる文化はあったのだろうが、上記の映像を鵜呑みにはできない。
ValseやPolkaはあまりにも距離が近すぎるし、宮廷文化とは考えにくい。ここらの接点を探るならMazurkaが妥当だろうか。