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押しつけは絶対ダメ!
こんにちは。
ごまです。
本日はただの愚痴です。
お見苦しいかとは思いますが、自己判断でお読みください。
愚痴とか苦手な方はお引き取り頂いても構いません。
本当に申し訳ありません。
お正月、別居婚中の旦那が帰って来ていた。
その時に母親に言われた事が余りにもイラっとした。
まず、旦那を『もてなす感の強要?』。
旦那ですよ。
親戚じゃないのよ。
自分がもてなしたいなら勝手にもてなせばいい。
なのに、「ほら、パパにビール。」「ほら、パパにご飯。」「ほら、パパにとってあげて。」のオンパレード。
家族で食卓を囲むのに、なぜ私がゆっくりできないか?
私は座ってご飯食べれないのか?
これが昭和の時代の男尊女卑的思考なのか?
47歳のいい年したおじさんですよ?
自分の事は自分でできますよ?
いつも一人で生活してるんだから出来るんです。
それなのに「なんでもやってあげないといけない感」時代おくれなんです。
妻は旦那の世話を焼くのが仕事なんですか?んな馬鹿な。
自分の事は自分でする。って子供にも教えてきませんでしたか?
なのに、なんで「旦那」って名前ついただけでおじさんの癖になのもしなくてよくなるんですか?
次、行きます。
旦那、帰って来て風邪ひいてダウンした。
ずっと寝ていた旦那に「なんか食べさせなくていいのか?」「食べないと体力落ちる。」といちいち口出してくる。
そもそも体調悪い時は内臓も弱ってる。
水分とって脱水予防し、食べれるなら少量食べる位でいいんだよ。
普段から体力と免疫力の為に食事に気を付けるなら分かるけど、実際体調崩してる時は安静が必要なの。
体だけじゃなく内臓も安静が必要なの。
そして、旦那は元々食には興味はなく、生命維持の為に食べるだけで仕事がない日は元々食べないタイプの人間。
「仕事だから」って理由で食べるだけ。体動かすから食べるだけ。太って体重くなるとパフォーマンス落ちるからって無駄には食べないタイプなの。
自分の感覚で食生活きめてるの。
(この感覚は私も分かります。食に対する興味はスイーツ以外には発揮されないので。ちなみに旦那はラーメンは好きみたいです。)
「だから、もともと食べないから。」と説明しても「なんで!食べなきゃ体力落ちる。」「私は食べる事が基本だと思ってる!」「だから瘦せてるんだ。」と、吠え出します。
そもそも、健康に気をつけて食事をしてる人は「肥満」にはなりません。
ただ「食べる事が好き」って言うのと一緒にしないで欲しい。
そして、病気もあって通院してる人に「健康」を語られたくない!
(母親、肥満です。私の美的センスに反する位の肥満です。)
病院にも旦那は自分で運転して行ったけど、「熱ある人に運転させるなんて!」とかほざいてたな。
あんたが送っていく訳じゃありませんよね?
感染のリスク考えたら一人で行けるなら一人で行っていただかないと被害者が増える。
ましてや私は看護師。自分が運び屋になるのはごめんなんだよ。
しかも、仕事で散々看護してきてんのに、家に帰ったまでまた仕事ですか?
ふざけるな!って、このタイミングで風邪ひいた旦那にも少しイラっときたし。
最後極めつけ行きます。
旦那、今一緒に仕事している人も奥さんと離れて暮らしているそう。
その方は仕事の関係で離れて暮らしているので、我ら夫婦とは違うが、「今の人の考えはよくわからない。夫婦なのに離れて暮らすって。うちらの時代には考えられない。」と言ってきやがった。
「なら聞くけど、お父とずっと四六時中一緒にいたかった?離婚したいって言ってたし、実際死んだ時せいせいしてたよね?」
「嫌でも一緒にいるのが夫婦でしょ?そういう物でしょ?」だと。
「今はそうじゃない事が認められたんだよ。いい時代になったって事。」と、私は言ってやった。
「私たちはお互いの需要と供給が合致して今の別居婚に落ち着いただけだから。」
「理解できない。」って顔していたけど、そもそもそれが多様性の時代を生きれない要因だと思う。
自分の経験(価値観)が正しいと思う事。それだけならまだしも、それをあたかも正しいと押し付ける。
我が子たちは私の母親が嫌いです。
一般的におばあちゃんって好かれる生き物だと思っていたけどうちは違いましたね。
とにかく口うるさい。なんでも口出してきては意見を押し付けてくる。
これが嫌で私の姉も家を出て音信不通。
相手を認める事が出来ず自分の価値観を押し付ける事は絶対にダメだと思う。
そこにあるのは「自分と違う意見」「自分と違う価値観」「自分が経験していない事」だけ。
正しいも、間違いもない。
正論をぶちかまし、自分は正しいと信じて生きて来た人には、他人の価値観なんて受け入れられないと思う。
それもまた「こういう人いるよね。」位の事なのだけど、身内だと過剰に反応してしてしまうものだし、自分の母親ともなるとやっぱり少しの期待や、なんていうのかな…寄り添いたい気持ちになるもので、それが厄介だとも感じつつ諦めきれない。
だから私はこうして実家にいるわけだけど、「嫌でも一緒にいるのが夫婦(家族)」って言うのだけは納得。
嫌なら離れればいいだけだけど、「家族」っていう物にはそれをさせない不思議なものがあるし、私も親になったからそれが出来るかも。
忍耐力が付いたというか。
姉は子供を望まなかったので親の気持ちは分からないかも知れない。
と言うか知れるはずない。だって、経験してないのだから。
でも、だからって姉を非難する気もないし、それが姉の選んだ道。
母親は「子供がいないから、あいつは大人になれなかった。」という。
でもそれは違うと思う。
子供がいるいないに関係なく、人は誰かと接して必ず成長していく。
大人になる事の考え方は分からないけど、姉には姉の人生があってそれを非難する権利は親にもない。
いや、親だからこそ非難しないで欲しかった。
私は仕事して、シングルも経験しながら子育てをし、母親も姉もしてこなかった人生を生きて来た。
自分で生計を立てたり、離婚したり、自分の人生の責任を自分で背負ってきた。
母親も姉も専業主婦でパート位の経験はある。
私も専業主婦になってパート生活になったら母親や姉と同じなれるからそれがいいのかもって思った事もある。
身近にあるものがなんとなくロールモデルみたいな気がしていたのかも知れない。
でも実際は私には専業主婦は合わなくて仕事している時間が一番好きだ。
それが私たちが別居婚を選んだ理由でもある。
お互いが仕事に集中出来る事。
たまに会ったときは仕事を忘れて楽しむ事が出来る。
お互いに自立した適度な距離感を保てる関係なのだ。
傍に居ると過度な期待をしたり、相手の機嫌に左右されたりする。
その煩わしさが嫌だった。
過去にそんな家庭で過ごしたからなおさら嫌だったのかも知れない。
結婚している意味なんてないという人もいるかも知れない。
でも、毎日嫌な思いして、相手の嫌なとこ見つけて、愚痴る生活に、結婚している意味があるのかと逆に問いたい。
結局は自立できなかったから、生活の手段として結婚を選んだだけなのではないかと思う。
衣食住を約束された就職先。住み込みの就職先。
でも、それを選んだのは自分であって自己責任なのだ。
私には自立するだけの仕事もあったから住み込む必要もなかっただけ。
話が取り留めなくなったが、本当に価値観の押しつけは絶対にしてはダメだと思う。
受け入れろなんて言わない。
『受け止めて欲しい』
そうなんだね。って、受け止めて欲しいだけ。
それは違うとか、これが普通とか、こういうものでしょ、とか押しつけないで欲しい。
あなたのとっての常識は他人には非常識なのだから。
自分が正しいなら、他人も正しい。
他人が間違っているなら、自分も間違っている物なのだから。
今こうして思いを記す場所があって良かった。
ありがとう。
感謝しています。
新年早々愚痴吐き失礼しました。
「自分に優しく」が「人にも優しく」に繋がります様に…。