母は姉に整形を勧めた
私のルッキズム養成歴
最初の投稿で記したのだが、母親はルッキズムの塊みたいな人だ。
『自分が20代の頃は体重が40KGあるかないかで細身だった』と私に当時着ていたタイトワンピースを着せながら母は言った。当然、何度も聞いたことがある内容だ。しかもそのワンピースをピチピチ状態で着用した私を見て嘲笑してきた。(言い訳をすると、たしか中学3年~高校の頃で、思春期により激太りしていた時期だった。)
幼稚園時代の数少ない記憶で、私はつねに姉と比較されていたのをよく覚えている。今の私がルッキズムの思想が強いのは、現代のk-pop文化のみならずこの経験が深く関係している。姉は横ではなく縦にすくすく育つタイプだった。父親似で身体に肉がつかず、顔の輪郭もほっそりとしていて、小学6年生の写真を見るとショートパンツからは細すぎる脚が見えていた。
対して私は丸顔で、トトロのメイちゃんにそっくりだと両親からよく言われていた。「お姉ちゃんに比べて」を枕詞に、何度母親から容姿をからかわれたことだろう。娘可愛さ故だとしても、その娘本人である私がつらいのであれば、言ってはならない言葉に決まっている。小学3年生の夏に家族旅行に行ったときは、思い切ってショートパンツにサンダルという格好をしたら母親に2つの意味で笑われた。1つ目は私の脚が太いから。もう1つは、そのショートパンツがおばあちゃんにお金を出してもらって自分のセンスで買ったもの(jenny)で、母親の好みではなかったから。
おかげさまで小学6年間はハーフ丈の体操ズボンが嫌で真夏でも欠かさずニーハイを履いていた。中学3年になると思春期と受験期のストレスで体重が増加。大好きなおばあちゃんに「もうちょっと痩せなあかんね」と言われたときにはじめて深刻さを自覚した。高校生になると親から容姿についてあまり言われなくなったが、家庭環境が悪化した(弟が体罰を受け始めた)ことによって、且つまわりの同性の子が細くて可愛かったことによって、姉と比較され続けた過去を思い出さずにはいられない日々だった。
大学生になってからも、体型のコンプレックスは存在していた。食事制限のダイエットのみならず、大学受験が終わってすぐに買ったリングフィットアドベンチャーをやり込んでいた。そのおかげか、1年のときには過去最低体重までたどり着いた。
その夏のある日、私はショートパンツにぺったんこのスニーカーを履いていたのだが、父親が私の脚を見て「ほっっっそ」と驚いていた。それに私は驚いた。初めてだった、父親に容姿を褒められたことが。それでも私は自分はまだまだ努力が足らないと思っていた。
大学3年の冬には、ストレスが原因で1年次よりもさらに低い数字を叩き出した。食べてもどんどん下がる。2ヶ月間でー3.8KGの減量に意図せず成功していた。
人はストレスで限界になると、極端に太るか極端に痩せるかの2択に分かれるという。ルッキズムに支配された私が後者でよかった、なんて安心した。体重を理由にしてメンタルがこれ以上すり減ることはないのだから。
当たり前に生理が止まった。
そこから半年以上経った今、体重は+4KGまで回復したが、生理周期は不安定なままである。
母親はというと、つい最近私のことを「痩せている」と断言した。可愛い、ともよく言う。まあだとしても、幼少期からなじられてきた事実はどうにもならないけれど。
小学3年生の旅行の写真を今改めて見返してみると、年相応の丸顔はなんの違和感も無く、ショートパンツからのびた脚はまったく太くなかった。写真の中の自分を見て、「なーんだ。もっと着たい服を着ればよかったな。」と後悔した。
姉のルッキズム養成歴
そして私が散々羨ましがった姉の現在はというと、思春期を境にガリガリを卒業、一般的な肉付きの体型となった。こんなことは本人には絶対に言わないが、正直私の方が痩せ体型だと思う。(分かりやすくするために書いたのであって、常日頃姉を見下してそのような考えをしているというわけでは決してない。)
姉はむしろ、体重という数字に囚われなくなった。とある番組でスタイルの良い大御所女優が体重計に何年も乗っていないと言っていたが、姉もまったく同じなのだ。毎日体重計に乗らないと気が済まない私からすると、数字を気にせず生活しているのは少しうらやましい部分がある。
そもそも姉は外交的な私とは真反対で、友達付き合い面倒くさい・恋人いらない・おしゃれとかどうでもいい、の3拍子が揃った性格をしている。いつのまにか体重を気にしなくなったのもその一環と言えるだろう。
高校に上がる前まで私と姉は喧嘩が多く、あまり仲良い方ではなかったのだが、姉が高校生活で精神を患う頃には、お互いの不安定さを支える関係になった。
つい先日のことだった。姉が運転し、私が助手席に乗っているとき。車内という空間は人と人が逃れられない半密室であり、母親が干渉してこない数少ない機会でもある。そんな中で、姉が急に言ったのだ。
「お金貯まったら顔全体を整形しようと思うんだよね。」
思いっきり「エ!??」と声が出た。私の知ってる姉は、自分の容姿に無頓着で、無駄なしがらみに囚われていない、他人の目を気にしない人間だからだ。もう少し具体的に言うと、大学の講義でも車校の授業でも、一番前のど真ん中の席に座れるタイプ。
「な、なんで・・・?」と、恐る恐る尋ねてみた。整形する理由なんて、大抵は”自分の顔が嫌いだから”なんだろうけれど、私が聞きたいのはそのもっと根っこの部分だった。姉はそれをしっかりと汲み取って答えた。
「母がさぁ、どうしても二重整形させたがるじゃん。そんなオレの顔嫌いなのかよWWWってずーっと感じてて。今はちょっと怖くて整形する気になれないけど、自分でお金貯めて、いろいろ調べて、やろうかなって。」
姉は自虐するとき、決まって自嘲スタイルだ。今回も特徴的な一人称とともに豪快に引き笑いをしていた。私は何も言い返せなかった。
姉の言うとおり、母親は姉の就職祝いとして、二重整形を推奨している。毒親育ちでなくともほとんどの人が経験したことがあるであろう、"アレ"だ。
"アレ"――――つまり、『なんでもいいよ』『欲しいものなんでも1つ買ってあげる』と言いつつ母親の好みに限定されて、もはやそれならいらないまである慣習だ。
姉は現時点では二重整形をやる気がないため断っているのだが、母親はなんとか説得できないかと試みていた。なんなら、(姉には伝えていないけれども、)母は私にも姉を説得する協力を仰いできた。
母の発言で姉がそこまで思い詰めているとは予想もしていなかった。私が想像している以上に、姉は母親の言葉によって深い傷を負っていたのだ。
私は姉が整形しようがしまいがどっちでもいいので、まとめてやるのはよくないらしいから部分部分に分けてやりなよ、とだけ言っておいた。
21年間誤解していたこと
しばらく経って、姉がめずらしく友人と映画を見に行っていた。上映終了時間が0時を過ぎるため、友人を家まで送るのも含めて迎えに来てほしいと頼まれた。バイト終わりに隣の市のイオンモールまで車を走らせる。
イオンシネマ以外が閉館している巨大なイオンはひっそりとしていた。シネマ館にはゲームセンターが併設されており、ほんのりと必要最低限の照明だけが点灯していたそこでは、いないいないばあっ!のワンワンとそれいけ!アンパンマンのドキンちゃんがぎゅうぎゅうに詰められたUFOキャッチャーが少しの不気味さを醸し出していた。
上映が終わってすぐに、姉と友人がシアター内から出てきた。姉の数少ない友人である彼女は地雷ファッションと高めのツインテールをしており、姉とはまったく違うタイプだった。友人が私を見て、はじめましての挨拶とともに言った。
「お姉さんから聞いていたけど、本当にすごく可愛いね。」
ここで断りを入れておきたいのが、私と姉はお互いの容姿を褒め合う路線の仲の良さは持ち合わせていないという点だ。だから私は友人のその発言に驚いたし、多少の気恥ずかしさもあった。それと同時に、そういえば中学のときも姉の同級生から同じことを言われたなぁなんて思い出した。くわえて、あることに気づく。
姉の「妹はすごく可愛いよ」という言葉は、妹可愛さからではなかった。
自身のコンプレックスの裏返しだったのだ。
その言葉はつねに、”私とちがって”という意味が内包されていた。
点と点が繋がったような感覚がした。他所で私のことを褒めるなんて想像できないから、その方が余計に納得がいってしまうのも苦しかった。21年間生きてきてやっと、誤解していたことに気づいたのだ。自分の浅はかさに気づいた瞬間、恥ずかしいとまではいかないが、言い様のない気持ちになった。
なぜ母親が姉に整形を勧めるのか
前章までで示した通り、私は姉を羨ましがっており、逆に姉は私を羨ましがっていた。2人そろって母のルッキズムにしっかり影響されていたことが分かった。
ではなぜ、母親は姉に整形を勧めるのか。
常日頃、母の話も姉の話も聞いている相談役の私は、その理由をすぐに知ることになる。
母曰く、子どもの容姿は親の責任らしい。体型が横に育ちすぎないように注意喚起するのも、遺伝の一重や毛深さも、先天的・後天的どちらに関しても親の責任なのだと言う。
私の姉は、幼少期に私と容姿を比較して悲しむことが頻繁にあったらしい。
『Kasumiとちがって毛深い』『Kasumiは色白だけど私はそうじゃない』などとマイナスな発言をしており、母はその様子に胸を痛めていた。
二重に産ませてあげられなかったのは親の責任だから二重整形の費用を負担してあげたいのだと、母は言った。
ちなみに私も二重ではない。たまに右目は二重になるが、基本的には奥二重だ。小さい頃なんて今よりも顔に脂肪がついていたから、姉と同じく一重だった。幼少期の姉が毛深さや色白について嘆きはすれど、一重であることに悩んではいなかったのではと疑問に思う。
今これを読んでいるあなたは、”じゃあ整形ではなく他の美容課金にすれば、まだ母も納得するんじゃないか”と考えたかもしれない。そこは人生でいちばん時間がある大学4年のタイミングならダウンタイムを設けやすいという考えと、母のこだわりだろう。母は一重よりは二重の方が可愛いと思っているのだ。それすなわち結局のところ母の好みを姉に押しつけていることには変わりないのだが、姉の顔の造形を否定したいわけではないらしい。自分の娘は可愛いけれど、娘が容姿で悩んでいるのなら高いお金を捻出してあげたいという心理なのではないか。
運転しながら「しまったなぁ」とつぶやく母に都合良くも同情してしまった。姉の言い分も、母の言い分も分かってしまってつらかった。6年前を境に(これについては別投稿しようと思う)、親子のコミュニケーションは途絶えてしまった。母は姉になぜ整形させたいのか話す必要がないと思っているし、姉は母に聞く勇気を持ち合わせていなかった。
私は緩衝剤の役目を果たすべく、このとき一番に思ったことを伝えた。
「遺伝なんて努力でどうとでもなる部分が多い。全部が全部親の責任になるわけじゃない。」
”そんなことないよ”と伝えたい一心で咄嗟に出た言葉だから、このときは深く考えていなかったけど、姉の要望にしっかり耳を傾けるべきだと伝えたかったんだと思う。
本当に容姿についてどうにかしたいなら、自分磨きをすればいい。姉は私ほど自分磨きをしていない。母に似て、お金で時間を買って他力で変わろうとするタイプだ。だからこそ時が来ればまとめて整形するなんて言ったのだろう。いずれにせよ、姉は今どうにか変わりたいわけではないのだ。祝われる本人がいらないといえばそれまでの話なのだ。
姉の呪縛が少しは楽になるかと思い、この出来事をLINEで伝えた。結果、既読無視だったけれど、それ以降は自然と母も姉も二重整形について触れなくなった。
不器用なコミュニケーションしか取れない我が家は、いつだって誰かが緩衝剤になる。姉と母が揉めたらつねに私がその役だし、逆に私と母が揉めたら姉か父が間に入る。母に本音を言うなんて不可能だった。どこの家も、親が全能の存在であり、その基準が世間一般とはかけ離れていたとしても、子どもはそのルールに従わなければならない。実家暮らしをするなかで痛感する人は多いだろう。これについては6年前の出来事が大きく関係するので、また話そうと思う。
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