7月第3週
娘の風邪がうつった。娘は胃腸風邪だったのだが、私も多分に漏れず同じ症状で、胃のむかつきがすごい。何か物を食べたりしたいけど、体が許さない感じ。食べたら吐くな、と思う。
夏に気持ちが悪いと、娘を妊娠していた頃のことを思い出す。ちょうど今の時期がつわりで、何も食べられないし、携帯すら酔うので見られず、ひたすら寝室の壁の模様を見ながら、日がな一日横になっていた。突然、仕事もできなくなってしまって、先が読めないし、迷惑がかかるので辞めようかとすら思った。私はたまたま正社員で、生身の体がそこにいる必要がなくて良い仕事だったから辞めなくて済んだけど、人によっては辞めてしまっていただろう。突然そういうことが起こりうる女の体というのを恨んだ。自分でコントロールできないことに絶望した。そのことを同じ女性にもわかってもらえない。孤独だった頃のことを思い出してしまった。
ふと子どもが私に近づいてきて、小さな声で大好き〜!と言いました。初めて言われたので、私は泣いてしまい、子どもに「まま、泣いちゃダメだよぉ〜」と言われてしまいました。3年前の東京オリンピックの時は、お豆みたいに小さかったのに、こんなに大きくなって、こんなこと言うようになったか、と思うと、泣けて泣けて、しかも最近ママいらないが激しかったので、とっても嬉しくて、変なスイッチが入ってしまいました。
ベンチャーで働いていると、人がいないので今までやったことないこととか、あんまり自信ないことでもどんどんこなす必要が出てくる。都度ビクビクしている。
今日もだるさ抜けず、休み休み仕事している。夫が子どもの送り迎えをしてくれているので助かる。
夜になってもだるさも咳もおさまらず、ぐったりしながらミーティングをこなし、なんとかご飯も作ったので、誰か褒めて欲しい。まぁ、誰も褒めてはくれないが、この経験を何かに使えるとしたら、人に優しくなりたいものだと思う。
地味にずっと胃が気持ち悪いのが何よりもストレス。体が変なせいで、面接失敗しちゃったし、色々うまくできなくて自己嫌悪なる。そういう時に限って、子どもをうまく寝かせられず。自分も一緒に寝たかったのに、寝られず、結局仕事して、ぼーっとして、何してるのかな?と思う。
いつでも自分でないものになりたいと思っている。性格診断系は大好きで、いろんな物をやってみたけど、結局、診断したところでそれは自分が考えたその時の自分の気分を含む主観的なもの。得意や強みを伸ばす、って考え方はよくあるけど、結局、変わらないってことじゃね?って思ってしまう、可能性を狭めているような。いやもう今更可能性広げてどうする?って感じだけど、自分のこの殻の中で一生生きていくと考えただけで暗い気持ちになってきて、自分の特性を知ることってなんの意味があんの?と一周回って思ってる。
吐き気が少し落ち着いたものの、咳と身体のだるさが抜けず、微熱が続いている。朝はずいぶん良くなったと思ったけど、なかなかサッとは治らないか。
吐き気は治って体も少し軽くなったけど、引き続きひどい咳が出るので、夕方ちょっと病院に行ってこようかと思う。お迎え間に合うかなぁ。自分の体が1番後回しになって久しいな。
あまりに咳がひどく、市販の咳止めが全く効かず、放置してもすぐには回復しなさそうだったので(咳が長引きやすい体質)、意を決して近くの内科に行ってきた。幸いコロナではなかったので、強めの咳止めをもらって帰ってきた。コロナ陰性と聞いて体の細胞がぽわ〜と緩むのを感じた。自分の体を大切にしてあげた実感があった。大切なものは増えて、自分のケアできる量は限りがある。
夜ご飯を食べて、お風呂に入って…、仕事に戻りたくない。戻りたくないけど、戻るか〜
結局、昨日戻れず、そのまま寝てしまった。咳き込みで起きて、その後も咳が続いてあまり寝られずで、朝からぼんやりしている。
咳からの〜腹痛!なんだこの不穏な痛さは。ものすごい痛さで1時間気絶するようにうずくまっていた。
体調不良がすごくて気持ちが滅入る。強い咳止め飲んだからだろうか。
強みや得意を探そう、みたいなのやってると、なんかげっそりしてくる。確かにできることはある、人よりもできるところもあるかもしれないけど、自然にできたわけではない。もともと得意だったわけではないし、続けているのも大概労力と大きな緊張が伴うものなので、それが特別自分の強みだとは思えない。「それができない人もいる、だから強みだ」と周りの人が言ってくれても、だからなんだ、私だって好きでできるわけじゃない、努力して、ずっと緊張しながらやってきたんだ、と言いたくなる。
自分の持っている価値観だって、それが自分を良い方に動かすものじゃないんじゃないか?という疑問がある。自分の持っているものがそんなに良いものだったとして、じゃあ、なぜ私はこんなに自分の人生を楽しめていないんだろう、ずっと追い詰められているんだろう、と思う。そういう悲観的なモードに入ってしまってる感じだ。こんな感じ、なんの役にも立たないのにな。
地元の友達と会った。私は地元を離れて20年以上経っており、地元へはほんのこれっぽっちも未練なく、戻りたいとも住みたいとも思ってないし、地元の味が恋しいみたいな気持ちもほぼない。あの性差別のきつい、閉鎖的な環境から抜け出せてせいせいしているくらいだ。だから、その友達が地元を恋しがる様子にもちっとも共感できず申し訳なかった。
地元のごはんが何よりも美味しいと信じて疑わない友人の様子を見ていると、屈託ないな、と思ってしまう。日本中いろんな場所でいろんな食べ物を食べたけど、それぞれに美味しかった。まずい、と思ったことはほぼない。こっちのご飯はまずい、あの店はテレビに出てたのにまずかったなどと連発してくる友人をやや不快に感じながら、味にこだわりのない生き方は楽だなぁと思うなどした。
友人付き合いを“共感”だと定義していると、誰とも付き合えなくなるなと最近思う。地元の友達なんか特に、みんな違いすぎて。私が仕事で何をしてるかも、詳しく話したことはないな。