闇バイトは気持ちいい
ここ最近の犯罪者がおかしい
闇バイトとやらで撮っ捕まるアホの若者。やるのもアホなら捕まるのもアホ、そして手口を聞いてもアホの、アホのオンパレードなのだが。捕まえると引くほど普通の人ばかりだ。全然悪そうじゃない。下手すりゃいじめられっ子タイプみたいのとかもいる。強盗のイメージじゃない。そして求刑は死刑とかめちゃくちゃ重い。
何かおかしい。ちぐはぐな印象を受ける。
闇バイトは振り込め詐欺が変化したものだという指摘がある。
振り込め詐欺は巧妙で組織だっており、詐欺を指南していた。りりちゃんのような女子も、またその後ろのホストも同じで、ひな形から教育を受けて捕まらない犯罪者を養成している。
しかし闇バイトは本格的に使い捨てであり、もっというと指示役ですら、うまくいく可能性は低いと思っていそうだ。さらに現場で犯罪を行う人間には何のリターンも無いことは誰の目にも周知だ。取って来たものをいったん預けて、そこから分け前がなかったらどこに訴えるつもりか。警察?労働基準監督署?連合?知らん顔されて絶対に分け前はない。あると言っている人はいるが、ない。さらに捕まると死刑。限りなく失敗する。
これ何なんだろうか。
一般社会の理解は、食い詰めた若者は怖いとか、うまく犯罪者にからめとられてしまったという認識だろう。脅されて、逃げられなかったという話もある。それでも重罪だ。
この闇バイト、果たして本当にバイトに利益はないのか。バイト応募者からは、何が見えているのだろうか。
バイトたちは、おそらく社会に踏みつぶされた、その劣等感から逃れているような気持ち良さを感じているのではないか。仕事をしている・役割がある・充実している。何より自分は弱者ではない、弱者から収奪する者だ。
弱い者いじめをされてきた人間の全てが善人でもなければ悪人でもない。それが当り前の人間だ。
他人に不当に自己の劣等感を投影し、その人を叩きたいと感じたり受け入れたいと感じることが、他者に対する暴力的投影の在り方だ。
このようないじめを受けてきた、もしくは嫌がらせの対象であり続けた人たちは、自分が暴力のふるい手になってみたい、という願望が起こることがある。それは本当に弱いところへの暴力になったりする。その対象は自分の暴力に抵抗しない、近しい者か自分自身になる。社会の関係性からくるストレスのはけ口になってくれるのは、最後にはその人を愛してくれる者だけだ。その人がいなければ、幸福を作る本人である自分自身に攻撃を向けるしかなくなってしまう。その必要が無くなるのが、闇バイトなのではないか。
闇バイトは他者への不当な暴力をさせられることによって、弱者である自分から解放されて気持ちよくなれる。そのため経済的なコスト意識のない働きに手を染めてしまう。
普通の人にとって、コスト意識なく努力することは偉大な事業を完成させ、人間を高みに持ち上げるものだろう。しかし彼ら被害者の立場から逃れたい者たちにとっては、日頃の劣等感から解放され快感が得られることで利益が発生している。
人間は望む望まないにかかわらず、憂さ晴らしと暇つぶしで多くの時間を浪費してしまう。たとえそれが低次元な漫画を読むことであっても、いかがわしいポルノ動画にしがみつくことであっても、おおむね人に迷惑はかけない。だが闇バイトは、自らの劣等感の存在に気づかず、ふびんな立場に甘んじる自分に、表面的に同情する言葉で自己肯定され、負けた自分を都合よく慰める言葉の武器をもらえた喜びで、簡単に他人の道具に成り下がってしまうものだ。
家が貧乏で学校に行けなかったんだよな。お前が悪いわけじゃないよな。お前はちゃんとやったんだよな。悪いのはお前じゃない。そう言ってくれる人は、決して優しさで慰めているわけじゃない。
自分が悪いわけじゃないとしても、誰かに親和する必要なんかない。大切にすべきは今の自分の、この身体なんだ。
響き過ぎる…。
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