カストリ書房移転クラファン応援メッセージ・渡辺憲司 様
※トップ画像:渡辺憲司先生近影
移転に際して開催したクラファンには、様々な分野から応援メッセージを頂戴しました。クラファン本文でもご紹介していますが、改めてこちらでもお伝えしたいと思います。(なおクラファン本文では五十音順でしたので、こちらでは五十音逆順でご紹介します)
まずは渡辺憲司先生からご紹介させて頂きます。以下頂戴したメッセージです。
渡辺憲司(わたなべ けんじ)氏 略歴
昭和19年、函館生まれ。立教大出身。横浜商業・武蔵中高校・梅光女学院・立教大学・立教新座中・高校・自由学園などでの教師生活50年を経て退官。現在立教大学名誉教授。江戸時代文化・文学が専門。
憲司先生(私も渡辺姓なので、こう呼ばせて頂きます)といえば、近世期の遊里を中心に御本を多く著されていて、遊廓の歴史愛好家にとっては広く知られているかと思います。2023年3月には最新刊『江戸の岡場所』を上梓されました。
同月には、カストリ書房主催で刊行記念トークイベントを開催しました。
2011年3月に起きた東日本大震災によって、卒業式が中止になった立教新座高校の校長の職にあった当時の渡辺憲司先生が同校HPにメッセージを載せ、これがSNSで拡散された事がありました。覚えている方も多いのではないでしょうか。
2011年当時、SNSで回ってきた同メッセージを私も拝読しましたが、これが遊里史研究者の渡辺憲司先生と同一人物であったと知ったのは、恥ずかしながら実は最近のことです。てっきり憲司先生は大学に籍を置く研究者で、同時に中高校の校長職にもあることを存じませんでした。
研究者としてもはるか雲の上の存在である憲司先生ですが、研究者である以上に教育者であられると感じたことがありました。初めてお目もじしたのは2018年6月のことで、某雑誌のご取材の折、弊店にお立ち寄り下さったと記憶します。
飼い猫はネズミを咥えて飼い主に自慢げに見せてくると言いますが、このときの私はまさに猫です。偉大な研究者を前にして、背伸びして、愚にもつかない経験・知識をあれこれと開陳する。今思い出しても恥ずかしい話ですが、そのときの憲司先生は、一言も口を挟まずに最後まで聞いて下さったことを鮮明に記憶しています。うまく説明できないこちらを見かねて、こちらが何を言いたいのか先回りして、意を汲んで下さる。
知識レベルなどは別問題として、質問を受けることが巧い人と下手な人は、はっきりと分かれます。多くの人は次のような経験は無いでしょうか?
とある博識な人に質問すると、単語だけ拾われて、文脈は置いてけぼりとされ、質問の意図とは異なる答えが返ってくる──
自分の得意分野になると、つい誰しも饒舌になってしまう一方で、質問者の意図について配慮を欠いてしまうことが少なからずあります。意外とこれは博識な人に多い印象があります。知識を多く抱えることと、他者のために活用する技術は別物であると常々わたしは感じています。
クラファン本文でも「ヒューマニズムのない知識は、細を穿っただけの衒学になり得る」といった趣旨のことを述べましたが、憲司先生との出会いによって、このことを強く意識するようになりました。
憲司先生による遊廓関連の御本を拝読して常に感じることは、緻密な文献調査、精力的なフィールドワークはもちろん、遊女をはじめとする当時の人々に対するヒューマニズムです。「緻密な文献調査」「精力的なフィールドワーク」等に圧倒される研究者や著述家は多くいますが、ヒューマニズムを感じることは必ずしも多くありません。私が憲司先生の御本や懇談の機会を通して学びたいと日頃願っていたものは、単なる知識ではなく、このヒューマニズムの精神でした。
お目もじしたときに話を戻すと、憲司先生の帰り際、話足りない私がモジモジしていたところ、憲司先生が「なんだ? 酒でも飲みたいのか? 行くか?!」と誘って下さり、私はさらに心服してしまいました。
その日は予定が合わず、機会を逃してしまいましたが、後日、ご相伴にあずかった際、次のようなことを仰っていました。
「(立教大学の)退職後は、遊女墓をライフワークにしたい」
なぜ第一線にいる研究者がわざわざ「墓」のような地味な研究をしたいのか? 墓が地味かどうか置いておくとしても、社会史や民俗史、文学史といったアプローチからの遊里史研究と比べると、どうしても華々しさに欠けると感じたのが正直な感想です(大変生意気で申し訳ありません)。そのときの私には理解できませんでしたが、周囲の評価に惑わされず、低い目線で遊廓・遊女に迫ろうとする姿勢が印象に残りました。意義は分からずとも、このお言葉は頭から離れませんでした。
応援メッセージには、私を指して「遊女墓の研究でも知られている」と述べていますが、これはとんでもないことで、本当の先行研究者は憲司先生に他なりません。1997年の科研費では、憲司先生が全国60箇所のリストを作成した旨、記されています。四半世紀以上、先を行く偉大な先行研究です。
2021年前後から遊女墓に興味が湧いてきた私は、このリストを拝見できないか、憲司先生にお尋ねしました。今さらながら極めて安直で、本来こうしたことは非礼にあたるのかも知れません。しかし憲司先生は、計り知れない労力が注ぎ込まれたリストを、事もなげに私に提供してくれました。
リストをお預かりした私は、未調査の地点、調査済であっても別観点からの考察、その後の再調査に重きを置いて取り組み始めました。
現在、私は約120箇所ほどの遊女墓を把握しています。憲司先生のリストに60弱ほど追加できました。憲司先生の向こうを張るつもりは毛頭ありませんが、せっかく拝見できたご成果の一部を無駄とせぬよう、邁進したいと思います。
2022年4月には本当の意味での遊女墓研究第一人者である憲司先生と、代官山蔦屋で対談する機会を頂戴しました。
遊女墓の調査目的については、こちらでも纏めています。
最後になりましたが、浅学を顧みない非礼なお願いにも関わらず、身に余るお言葉を掛けて下さった渡辺憲司先生にこの場を借りてお礼申し上げます。