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カストリ書房移転クラファン応援メッセージ・紅子 様
※トップ画像:紅子さん(セルフポートレイト)
移転に際して開催したクラファンには、様々な分野から応援メッセージを頂戴しました。クラファン本文でもご紹介していますが、改めてこちらでもお伝えしたいと思います。(なおクラファン本文では五十音順にご紹介したので、こちらでは五十音逆順でご紹介します)
前回の渡辺憲司先生に続いて、今回は色街写真家・紅子様をご紹介させて頂きます。以下頂戴したメッセージです。
カストリ書房がある吉原、私はかつてこの街でソープ嬢として働いていました。もう20年近く前となります。
汚れた仕事、闇の世界という見方もある性産業の世界。
引退後シングルマザーとなってからは、風俗嬢であった過去を恥とし、ひたすらに隠して生きてきました。
ですが、40代も後半となった今から4年ほど前、偶然カストリ書房の存在を知ることに…。
遊廓の歴史を伝える書店が存在することに衝撃を受け、カストリ書房で売られている本や店主渡辺豪さんの本を読みあさり、自分が働いていた吉原という街の歴史、また日本各地に残る遊廓や赤線の歴史を知ることに。
性風俗の世界が「文化」として語り継がれていることに涙しました。
私も自分にできる表現手段で性風俗という世界を文化とともに伝えていきたい、そう願うきっかけとなったのでした。
遊廓の研究者だけではなく、私のような過去を持つ者、またさまざまな思いを抱えて現役で働かれている女性たちにとっても、この書店の存在は「性風俗を全く別の視点から知る」という点において、大きな役割を果たしているのではないでしょうか。
紅子(べにこ)氏 略歴
1972年生まれ。色街写真家・元吉原ソープ嬢。10 代で風俗嬢となり関東各地の風俗街を 13 年以上転々とする。32歳で吉原を引退後はシングルマザーとなる。48歳からカメラを始め、風俗街、赤線、遊廓跡地などを訪れ、日本各地に残る色街の風景を記録している。50歳 カストリ書房ギャラリーにて写真展開催。過去の風俗体験記と色街の文化を紹介する『紅子の色街探訪記』を YouTube で配信中。
2023年4月に開始した紅子さんのクラファンに応援メッセージを寄せる機会を頂戴した店主の私、渡辺豪は、今度は弊店のクラファンに、紅子さんから応援メッセージを頂戴できないか、お伺いを立てました。
YouTubeを始めとするネットを活動の舞台として、今や遊廓ジャンルを牽引するお一人の紅子さんのお力に縋りたかったことは勿論ですが、同好の士としてのシンパシーからお願いした次第です。急なお願いにもかかわらず、ご快諾下さいました。
私個人のnoteアカウントですが、以下の2稿で紅子さんについて言及させて頂きました。
今回頂戴した応援メッセージには以下とあります。
「さまざまな思いを抱えて現役で働かれている女性たちにとっても、この書店の存在は『性風俗を全く別の視点から知る』という点において、大きな役割を果たしているのではないでしょうか」
頻度こそ多くはありませんが、吉原で働いている女性が来店して、本やグッズなどを買っていって下さることがあります。当然のことながら、職業に関係なく当方から職業を尋ねることはないので、私が「吉原で働く」と知り得たのは、女性側から自己申告してくれたからです。例えば、「ブログ更新のネタ探しで、グッズを買いに来たんです」といったものから、単に「私ここ(吉原)で働いているんです」といった他愛のない会話まで様々です。
しかし、「私は郵便局で働いています」「ドトールで働いています」「公務員です」などと、職業を自己申告するお客様はほとんどいません。
職業を自己申告してくるのは、吉原の女性だけでした(もちろん来店しても何も語らなかった吉原の女性もおられたものと思います)。
なぜ吉原で働く女性は自己申告してくるのだろう──
私は時折考えることがあります。
もしかしたら、紅子さんの文中にあるように、今の仕事──ときに見下げられ、理不尽な思いをし、あるいは声にならない思いを抱えながら務める仕事──を、別の視点から知った驚きが自己申告に繋がっているのかも知れません。
見下げられること、理不尽な思いをすること、声にならないこと、これらの経験は何も性風俗従事者に限ったことではありません。サラリーマン時代や現在は書店を営む私も、大なり小なり同様の経験をしてきましたし、ほとんどの職業がそうではないでしょうか? その意味で、程度の差は大いにあるかも知れませんが、ソープを含む性風俗だけの事情ではありません。しかし、私や他の職業に就く人は、どれだけ苦労しても、社会との帰属意識を喪失することはありません。むしろ社会の一部、歯車だからこそ苦労する、と一層帰属意識を強めているのではないでしょうか。
翻って、私に自己申告してくれた吉原の女性は、そうではないのかも知れない。「世間が見て見ぬ振りをしようとしても、私はここにいる」「社会の一部、歴史の一部として、私はここにいる」との思いで自己申告、というよりも、自己の存在を主張したかったのではないか──
同時にこれが紅子さんがご指摘するところの弊店が担っている「大きな役割」の一つではないだろうか。紅子さんから頂戴した応援メッセージを拝見して、今さらながらにこう考えるようになりました。
この場を借りて、暖かいメッセージを下さった紅子さんに改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。