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「重大な選択」をどのように決めようか?

柏木です。ちょうど同じタイミングで何人かの人から仕事を辞めようか、ずっと想い続けた人を諦めようか…という「重大な選択」をどのように決めようか?という相談をされる機会があり私も考え込んでしまいました。

で、今も答えは出てないのですが考えの道のりが何かお役に立てればいいなと思い共有します。オチない割に長いからね。すまんね。でもそれでも良ければ読んでね。

自分を失うかのような重大な選択ですよね

転職がとてもメジャーになった今、「会社を辞めるのか」って結構カジュアルに考える人も多いですし結婚しても離婚しても、付き合うのも「勢い」を重視している人がある種の平均と思われる中では、すごく重大に考えることはレアに感じることがあります。他の人と自分は違うのだろかというネガティブバイアスが働きます。

会社を辞めたり、自分が心底大切に想う人を諦めたりすることは誰かにとってはある程度考えれば答えが出る問いでも、「自分を失うかのような重大な選択」だったりするのです。

現状に違和感を感じているのに、限界を感じているのに、それでも手放せない理由はどこにあるのか?を考えてみることにしました。

1、ここで手放すのは負けなのではないか?論

目標から目を話さず、常に現状と目標のギャップを埋めるように努力し(もがくともいう)いつか手に入れられると思って諦めずに頑張る。

きっと手放したら負けだと思うんだろうなと思います。自分が手にすることができず、他の人が手にしているとしたら尚更、「他の人に出来て自分に出来ない理由って何だろう」と考え改善を繰り返し、「出来ない理由は自分にある」と考え、どんどん自分のプライドがすり減っていく…。文字に書くと辛いですし、恋愛だと大分大変ですね。間違いなくドMですね。私はドMの人好きだよ!

2、そもそもこの選択をした自分が間違っていたんじゃないか?論

思い描く未来のために、色んな選択をして我慢もして、いつか手に出来ると思っていた将来像。頑張れば頑張るだけ、将来像が遠い先にあることだけがはっきりと見えてきて、「目標までまだこんなに道のりがあるのか」とげっそりして、「そもそも頑張る意味ってどこにあるんだろう」「はじめた当初は成長実感あったけど、今はこのままでいいのか?」「本当に私に出来るんだろう?選んだ自分が間違ってたんじゃないか」と思ってしまうことありますよね。

結果的に相手はもう求めてないんじゃないか、会社は求めてないんじゃないか、それなのにこのまま努力して何の意味があるのだろか。

と思えば思う程「私が頑張る意味はどこにあるのだろうか」と思う事が増えるのに、「それでも諦めたら本当に終わってしまう。どうにか出来るかもしれない」と諦めることも出来ずループにはまる気がします。

というか、「これだけやっても自分は大切なものを実現しきれなかった才能のない奴なんだ」と思ってしまいそうで、自分の負けを認めるようで辛いですね。

文字にしてみると、なかなかの思考の沼にハマっているように見えますね。

現実的に考えて負けなのか

自分の一部のように思っていたものを失うことは、とても苦しいはずです。

本当に激しく同意します。だからこそ思うのですが、会社を辞めること、大好きだった人を諦めることは負けなのでしょうか。自分の能力や運命があれば、得られたことなのでしょうか。

勝ち負けで考えないで下さい。ということが、言いたいわけではないのです。むしろ本当は「もう負けている」現状なんじゃないでしょうか。ということをお伝えしたいのです。問題は「主語がどこか」ということです。

大切なものは、これからもあなたを幸せにしてくれるのか

こういうことを相談すると時々、「自分を大切に思ってくれるところに行った方が良いよ!」とそんなことは前世から分かっとるんやバカヤロウと思いたくなるような正論を教えてくれたりする人がいますよね。「大切に思ってくれると思ってるから悩んでる」という前提からすれ違っています

でも確かに、過去はそうだったかもしれなくても、未来はそうかわからない。むしろ、向こうが耐久レースに負けたのかもしれません。会社であれ大好きな人であれ、お互いの関係性のポテンシャルを出し切ったのかもしれません。

自分がそこまで追い込んでやれたことにこそ、本当は価値があるのかもしれないし、次はそんな辛さも含めて知っている人と出会っていくのかも知れない。

そう思うと、内臓が冷えまくり手が冷たくなって死にたくなるかもしれないけど少しは客観的に見れるかもしれません。「こいつここまで読ませておいてこの結論かよ」と思うかも知れないのですがごめん。

全部体験してきた今時点の判断にこそ

やっぱりまだ結論は出ないのですが、考えてる時って突然脳みそが合理的に「続ける意味 < 離れる価値」の方が大きいと思わせるような出来事が起こることって時々ありますよね。

そういうことも含めて、タイミングや時代・時間の流れには勝てないなと思います。というか、タイミングや時間という「自分ではコントロールできないもの次第」というところまで考えて行動し尽くした経験こそ意味があるのかもしれません。遠い未来から目線を今にピント調整して、一心同体だった距離感から少し立ち止まり距離をとるといいかもしれません。

自分のこれまでの経験を見たり、他を比較して見たり、いろんな比較の中でまた大切だなぁと思えたらそれもまた幸せなことですし、違うかも知れないと思う事もありだと思います。

これまでの我慢、忍耐、希望、嬉しさ、大切に想う愛情。そういうものを全部体験してきた自分自身の今時点の判断にこそ意味があるのだと思います。

重大な問題であることも、負けたんだと思うことも辛いけれど、そう思えるところまで考え尽くした経験がある人だけが得られる境地がきっと待ってるんだと思います。

なんにせよ、きっと1つ1つは励ましの域を超えないのだろうけど
でもいつか少しは心に残ってくれると良いなぁと思います。



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