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神様がいた気がする美術祭

今年で12年目の開催となる「信濃の国 原始感覚美術祭」に参加した。
公募にエントリーしたキッカケは諸々あるけれど、それらはロックバランシングを始めたキッカケや会社を辞めたキッカケと同様に、重要なことではない。
実際参加してどうだったかを、余韻が消える前に書きとどめておく事こそ大事なのだと思った次第。

どんな場合も、外から初めて訪れる際には、体が勝手に緊張し委縮し警戒し身構えてしまう。転職や転校、引っ越し、コミュニティ等への初参加、初めてのラーメン屋でさえそうだ。
今回も例に漏れず、しかも途中から来て最後までいられない中途半端な参加となってしまったので尚更。。。
端的に言えば、全て自分で自発的に行動すべき現場、ということ。限られた予算と人員で三日間の濃厚なイベント目白押しの美術祭であり、予め想定可能なことだったけど、自分がどこで何をすればいいか理解するまでのモードチェンジに手間取った。

そもそも美術祭、芸術祭と言ってもいいけれど、俺は門外漢、よくて初心者である。いくつかのアート系イベントには参加履歴があるものの、今までは「石花会」として団体参加だった。
石花ちとく個人で、モロ美術祭にモロ初参加だったわけで、先方の好むと好まざるとにかかわらず、俺にとってのお手本美術祭、大いに学んだ♪
例えば、集客より遂行。
商業イベントではないので当たり前だけど、実施に際して集客や販売など眼中にないように見えた。彼らが本気で挑んでいるのは美術祭の遂行、それには制作や発表も含まれるわけで、自分自身の創作はもちろん仲間の作品鑑賞にも本気エネルギーが注がれていた。それは、まっとうな態度だ。展覧会ではなく美術祭だ。来場者数など、本人のやりおおせた感の足しにはならない。
イベントではなく美術祭。
主宰の杉原氏を筆頭に、毎年一回原始感覚美術祭は実施されてきたのである。当然、その履歴がイベントの強度であって、回を追うごとに強くなるのだろう。
毎年一回、同じ場所で実施すること、確かにそれはイベントというより「祭」なのだった。
今までイベントはたくさん参加して主催もしたけれど、祭りはしなかったし、祭りに参加もしなかった。フェス?フェスには神様がいないし、多くは商業イベントだ。神様は祀るものだけど、毎年一回、同じ場所でお祭りしているとその祭りの神様が生じるような気がする♪
それから、地域との関係もそうだ。
開催地の木崎湖畔は、東京から自動車でも鉄道でも4~5時間、周囲には取ってつけたような温泉施設とコンビニが一店舗という、なかなか不便な場所。所々にキャンプ場はあったけれど、時節柄ほとんどの利用者は長野県民と思われる。美術祭の主催者メンバーも参加アーティストも長野県在住が多かったように思う。
石花はどうかというと、最初からWEBだったし、2月の石花展もコロナ対応も兼ねてWEBのみ、地域性が全く無かった。石花会は、地方拠点という名目でどこどこ石花会を積極的に展開してみた時期があったけど、中途半端なままだ。だから石花会には神様が生じてない(笑)。

というわけで、今後も機会があれば、別天地に飛び込んでみたい。
また、地域という扱いにくい課題についても考察を深めたい所存。

有難うございます!恐縮です♪