出会えた意味を抱きしめて
何となく、そんな予感があったんだ。
「ここが、青春の終わりか」
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勘の鋭い読者・フォロワーの皆さまならばお気づきかも知れないが、このところはnote(文章を書くこと)に対する熱量も関心もだいぶ下がったな、と自分でも感じている。
日常生活に追われてエンタメのインプットをしていないというのもその要因の1つではあるけれども、そんなのは言い訳に過ぎない。
この間、見たかった舞台やコンサートの映像作品をいくつか購入した。それにもまだ手をつけられていない。
好きならば、興味があるならば、他の時間を削ってでもそれに熱を注ぐ。これまでそうやってきたのだ。読書は一応月の目標数を決めて読んではいるけれども、しかしそれも毎日とはいかず、気まぐれだ。
まあそういう波があるのは当たり前だとしても、だ。
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振り返るには、あまりにも濃厚な4年余りだ。
それについては、noteや別のブログでその都度記してきた。
読み返すのが気恥ずかしくなるほど、そこには僕の青い青い感情がこれでもかと詰まっている。
積極的に読んでくださいなどとはとても言えないが、何かでタイトル未定というグループに触れて、気になって調べた方がもし辿り着いた時に、こんなファンの人がいたのかと分かってくれたら少しは報われる気持ちだ。
今、特に意識することなく自然と「いたのか」という語句を打ち込んでいた。過去形で。
ここで推敲し、「いるのか」と打ち直すことも可能だ。
しかし、それを僕は選ばなかった。
そもそもなぜこんな記事を書き始めたのだろうか。
それは、きっと、いつか明確に言葉にするべきだと心のどこかで感じていたから。
─それは「感謝」の気持ちだ。
表現してしまえばこの2文字で済んでしまうもの。
そこにどれほどの想いを、愛を込めて伝えられるか。
そのためにきっと沢山の言葉を紡いできたのだろう。
それをここでやめようとは思っていない。
ただ、少しずつ、穏やかに、変化は訪れている。
それを誤魔化しているのは違うなと思った。
僕には僕にしか歩けない道があるから。
お気持ちだけで十分嬉しいですけれども、もしサポートしていただけましたら 我が家のかけがえのないにゃんこの命を守るために大切に使わせていただきたく存じます🐱(*^^*)