日記/2024/11/11/地下鉄と対話と
地下鉄が好きだ。地上を走る中央・総武線から見える東京の景色も悪くはないが、東京の景色なんて疾うの昔に見飽きているのが正直なところだ。
地下鉄の車窓は、景色を見せてくれない。その代わり、窓に映るのは自分自身だ。駅のホームから電車が出る。看板広告はすぐに見えなくなり、埃っぽい黒壁の世界が待ち受ける。そこにちらりと自分の顔が映る。
そこに映る自分の顔を見るたびに、少しだけ薄くなった前髪とか、もうじき出てくるであろうシワの恐怖とか、そういう自分の変化と向き合うことになる。しかし、最も気に病むのは、そこに映る外面上の諸問題というよりは、いまの自分自身が映し出されてしまうからのように思う。
上京したての頃を思い出す。茨城から意気揚々と東京に乗り込んできた頃だ。あの頃の銀座線に車窓に映る自分は、いまよりもっと生意気だった。
大学の通学に副都心線を使うようになった。あの頃は、よく本を持つ自分が映った。わかりもしないのに、小難しい中南米の政治について書かれた本を抱えていた。
だいぶ年月を重ねた。都営大江戸線の小うるさく少しだけ暗い車内に映る自分を、だいぶ弱くなってしまった自分を、ぼくは直視することができない。
地下鉄の車窓は暗い。なにも目にすることはできない。でも、そこにあるのは自分自身だ。内省と対話を否応なしに突きつけてくる車窓を、ぼくはこれからも見続けることになるだろう。たとえそれが厳しくつらいものであっても。
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