日記/2024/11/24/海はきれいだ
昨日に引き続き今朝の心は曇り模様。外は思いっきり晴れているし、日曜日だから街のみんなが外に出ている。彼氏には「引き続き風邪をひいたものと思ってほしい」と告げ、布団にくるまり半泣きになる。眠くもないのにひたすら横になる自分に情けなくなる。
彼氏が買い出しに行くという。「留守番してるね」と告げるも、なんだか体がそわそわとし始める。家でひとりふるえているよりも、外で疲労を感じた方がいいとの結論にいたり、ついていくことにする。
新宿伊勢丹に行くことになった。彼氏は伊勢丹が好きなのだ。自分は高島屋の方が「まだ」庶民的で好き。なんていうか、サザエさん一家が生きた時代の延長線上にあるように思う。高島屋にいる磯野家は想像しやすいが、伊勢丹の化粧品売り場を歩くサザエは想像しがたい。
伊勢丹での用事は早々に済ませ(といってもさすがにこの体調で人混みに行くとえらいことになりそうだったから屋上駐車場で陽にあたっていた)。このまま帰るのもなんだからと、お台場方面まで移動することにした。
お台場は好きだ。なにかと縁がある。東京の人はお台場なんて鼻で笑うのかもしれないけど、まだランドセルを背負っていた子どものぼくを東京という土地に引き付けたのは紛れもなく「ヴィーナスフォート」であり「船の科学館」だった。二つともすでに役目を終えてしまったことをとても悲しく思う。
お台場の海沿いにはいくつかの公園がある。中にはかなり鬱蒼としていて一人で歩くのも怖いような場所もあるから気を遣う。一番明るそうな場所を選び歩くことにする。
ふと横目に、解体中の船の科学館を見て少しだけ心が小さくなる。この辺もだいぶ寂しくなってしまうね。
海は好きだ。海沿いの生まれというわけではないけれど、穏やかな海を眺めていると心まで落ち着いてくる。狭い部屋でじっと肩をすくめて嵐が過ぎるのを待つのもひとつの手段かもしれないけれど、手の施しようがないほどの大きな存在を前にして、小さな悩みを押し流してもらうのもありだ。海には少しだけぼくの汚い心で汚れてもらうことだけが気がかりだけれど。