風化しながら残るもの
小戸公園編② (小戸公園編①はこちら)
小戸公園内にある妙見岬。
妙見岬は高さ約10メートルの丘陵地だ。
妙見岬の北は能古島に面している。泳いで渡れそうに近い。たぶん直線距離で1kmちょっとだろうか。
能古島のさらに北には、見えないものの志賀島がある。
丘陵から南を向くと、こんもりとご飯を盛りつけたような形の飯盛山が見え、西には糸島半島が見える。
(下の写真は糸島方向)
妙見岬は景観が素晴らしい。
晴れた日には空と海の青さに松の緑が映え、海には白い帆を張ったヨットが浮かぶ。
波音を聞きながら、海風に吹かれるのは気持ちがいい。
小戸公園北側は埋め立て地だが、この妙見岬と小戸大神宮のある丘陵は、古地図にもそのままの形で存在している。
妙見岬の丘陵からは博多湾内を見渡せ、かつては平野部の様子も見てとれる、重要な場所だったのではないだろうか。
北極星を信仰する妙見神社がここに鎮座するのは、そういった地勢も関係していたのではないか。
難しいことはさておき、丘陵北側から崖下を見下ろすと、砂浜と澄んだ海が見える。
海中に四角い石材のようなものが見え「まさか海中遺跡?!」と身を乗り出したが、いくら何でも浅く近い。
消波ブロック代わりに何か沈めているのだろうか?
こんなものでも、そこにある理由を考えるのが面白い。
丘陵を降りて砂浜から岬の北端を見ると地層が露出している。
水平ではなく、南側に下がるように傾斜している。
小中学校の理科の知識しかないが、地層は動きを想像するだけで楽しい。
東側の崖は、露出した石や木々の根がむき出しである。
しかも割れた石が落ちていたり、木が根ごと滑り落ちていたり、地盤が脆くなっているように見える。
この崖の砂浜近くに、石が集まっていたので近づくと、四角い石に文字が刻まれていた。
道祖神かなにかだと思い文字を読んでみると、なんと戒名だ。
つまり墓石だった。
砂浜に埋もれた石にも文字が彫ってあり、これも戒名だった。
なぜこんなところに墓石が?
近くに寺があったのだろうか。
いくらなんでも海に近すぎるが。
この崖下に小規模な墓地があったのか。
それともどこか別の場所から、古くなって無縁墓となった墓石が廃棄されたのか。
考え始めると面白いが、答えは出そうにないので諦めて岬の付け根に向かった。
小戸公園から妙見岬の南側を見ると、砂浜が丘陵部に入り込んだ地形が二カ所見える。
子どもの頃から、こういう"外から見ただけではわからない場所”に行ってみたい気持ちがずっとある。
幸運にも潮が引いていたので、砂浜を伝ってそこまで行ってみることにした。
松の根が這う崖の下を歩くと、ひとつ目の窪みが見えた。
割と深い洞窟のようになっている。
奥に何かが隠してありそうな雰囲気の洞窟だ。
下の青い部分は砂浜の砂である。実際の色は灰色だが、私のスマートフォンのカメラを通すとこんな色に見えている。
もう少し奥を覗き込むと、柱状に割れた岩が見える。潮や波に浸食された、いわゆる海食だと思われる。
奥まで入ってみたいが、大人ひとりが通れるくらいの幅しかなく、狭い場所への恐怖心があり入口から覗くだけにとどめた。
さらにもうひとつの窪みに向かった。
こちらも浸食され、ヘソのような浅い洞穴ができていた。
立て札が設置されているが、文字が薄くなって読めない。「ここで遊ばないでください」といった類のものだろうか。
洞の上部にある板状の岩が上の層を支えているようにも見え、看板がなくても近づくのはためらわれる。
板状岩の上は層がV字になっていて、内側に落ち込んでいるようだ。
東側の崖といい、妙見岬は風化が進んでいるのか。
風雨に晒され、海に浸食されてきた年月の長さを感じ、妙見信仰と合わせてこの場所で自然と人間が関わってきた時間を思った。
理科の校外授業のような観察と、空想と想像を巡らせ景観を堪能した小戸公園。
しかし、小戸公園の面白さはこれだけではなかったことに帰宅してから気づくことになり、この記事はもう少しだけ続く。
(小戸公園編③はこちら)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?