知らなければ見えないものがある
小戸公園編③ (小戸公園編②はこちら)
ふたつの神社のほか、地層や海食まで見ることができた小戸公園。
帰宅してネットで小戸公園を検索した。
何かを調べたかったわけではなく、ブログや情報を見て、その一日を追体験したかった。
幾つかの記事を読んでいるうちに、驚く記事を見つけた。
私がこのnoteを書こうと思うきっかけになった記事だ。
それは、"妙見岬に古墳があった"という記事だった。
記事を見た時は「古墳なんかなかった」と思った。
古墳というと円墳や前方後円墳が浮かぶが、そんなものはどこにも見なかったし、案内表示もなかった。
スマホの地図アプリには、福岡市に点在する古墳の名称も表示されるが、妙見岬には古墳の表示はない。
記事を読んでみると、古墳と言っても墳丘はなく、横穴式石室の石材が残っているだけらしい。その写真が載っていた。
写真を見て驚いた。
その石室が残っている場所は、私が行った妙見神社の”昇龍の松”という、松の木のすぐ下だった。
私はその場所に行ったし、そこに石積みがあったのを確かに見た。
が、小さな台が置いてあったので、妙見神社への供物台か、という程度にしか意識に止めてなかったのだ。
だから、私がそこで撮った写真には石室が写っていない。
意識を向けるものではなかったからだ。
(この写真の「小戸妙見神社」の札の下に石室がある)
古墳の一部が目の前にあっても、それがなんなのか私にはわからなかった。
案内板があれば気に留めただろうが、なかったから目に写ったのに見えていなかった。
いつもどこへ行っても、案内板がなければなにも見えず、気づかずにいるのだろう。
「知らない」「知識がない」ということは、勿体ないことだとつくづく感じた。
古墳についてはネットで検索してもほとんど情報が出てこなかった。本当にそれが古墳なのかという疑問も浮かんだ。
福岡市経済観光文化局の文化財のページにわずかに記載があり「古墳がある」のは事実とわかった。
さらに検索して、過去に九州大学が古墳の測量調査を行ったことがわかり、図書館で資料を閲覧した。
結果、
①妙見岬には三つの古墳があった。
②小戸大神宮がある公園東側の丘陵にも四つの古墳があった。
つまり、小戸公園内には計七つの古墳があったことがわかった。
報告書は拾い読みした程度だが、調査がされた時点でどれも墳丘は残っておらず、発見の経緯もはっきりしないものが多いらしい。
そして現在、
七つの古墳は墳丘がない。
横穴式石室や石棺の石材が一部残っていて、露出または土中に埋没している、
という状態のようだ。
気になったのは古墳のひとつが、小戸大神宮の鎮座地にあったことである。
小戸大神宮にあった神功皇后ゆかりの「安産石」。
そこに古墳があったのなら、それは神功皇后が腰掛けられた石ではなく、どう考えても石室の石材だろう。
これはもう一度小戸公園に行くしかない。
古墳の石室、石棺を実際に見たいと思い、一週間後、私は再び小戸公園へ行った。
今更だが、私は考古学について学んだことはなく、遺跡や古墳については、案内板がなければ見過ごすような素人だ。興味はあるけどよく知らない。
そういうものがそこにあるということ、なぜそこにあるのか、誰がどんな思いでつくったのか、と想像を巡らせるのが好きなのだ。
何も知らなくても、想像は自由だ。
一週間後、まずは小戸公園東側の丘陵を歩いた。
しかし、古墳の正確な位置がわからない。
報告書の地図は小さく、現在の公園の地図と見比べてもわかりにくい。
仕方なく「多分この辺」と思う場所を歩いてみた。
丘陵は木々に覆われて全体が森だ。
等高線の書かれた地図を見ても、森の中は見通しがきかないし、地形はさっぱりわからない。
舗装された道から森の中に踏み入ると、場所によっては歩きづらい。特に古墳のありそうな斜面は、人が歩いて踏み固めた道以外に進めない。
それは単に、木や枝を切ってあるかないかという話なのだが、木が密に生えていたり、枝に遮られると先には行けなかった。
公園内の樹木の枝を勝手に折るわけにもいかないし、素手で折れるような枝でもない。
しかも落ち葉が積もって道さえ見分けにくく、斜面は滑って危なかった。
結局、東側丘陵にあるはずの四つの古墳のうち、三つは場所さえわからなかった。
残る一つは”小戸大神宮”の鎮座地だとわかっている。
資料によれば「安産石」の他にも周辺に存在する石から、横穴式石室があっただろうと推定されている。
「周辺の石」がどれなのか、神社の左手の林を歩いてみると、たしかに石はあった。
だが、石室に使われた石と、もとからその場にある自然石と、神社が整備されたときに持ち込まれた石の区別が、私には全くつかないのだった。
残念だが知識がないと何も始まらなかった。
「これが石室の石か?それともこれ?」と勝手に空想するのは楽しかったが、知識がある方が楽しいのは間違いない。
小戸大神宮の参道の階段を下りきったところで、左手に「安産石」と同じように、石の杭で囲まれた大きな石があった。
平板で石の上部に突起がある。
これはもう、石室の石材に違いない。
根拠は見た目と石の杭だが。
この石を見たことでなんとなく満足して、東側丘陵から妙見岬へと移動した。
そしてこの記事は、もう1回だけ続く。
(小戸公園編④はこちら)